すそあげ屋さんが近くにあったと思うが、どこやろ。自治会の幹事会兼理事会終了。今回は幹事会と理事会を一緒に開催。ほぼ同じ報告を違う立場の人にするだけなので、同時開催でいいと思う。ちょっと前の人工呼吸レクチャーのときにも思ったが、幹事さんたちのなかに妙に鋭いおじさんがいる。おじさん以上おじいさん未満くらいだけど、いやもうおじいさんと呼んでもいいかもしれない。妙に鋭い質問をする。しゃべり方も説得的というか分かりやすい話し方をするし。今日は、自治会で取りまとめて募金している各種なんとか募金の、募金金額の決め方について問題提起をしていた。そもそも各種なんとか募金の仕組みからしてなんだか官僚的というかこういうのなんというのか。上から下へ、下から上へ、命令や指示やお金や要望などなどが行き来しているが、そのどれもが、行き来の過程で正当性とか根拠のなさをうまくぼやかす仕組みになっている。うまいとこできている。順に辿っていくと、どんなものでも、どこからでも、同語反復に行き当たる。とはいえこれはあらゆるものがそうでもある。けっきょく根拠はあやふやという意味で。なにより、根拠や正当性はともかく、とにかく決めることが求められているし、人間が洗練させてきたのは「決定」のための仕組みだと思うし、そもそも自分なりにでも決定や決定の過程を納得するための努力が放棄されているのが実情だと思う。ひょっとしたらそのような努力を、税金を払って行政に外注しているつもりの人が大半なのかもしれない。それは俺の仕事じゃないと。昼に、冷凍しておいたこの間のカレーを冷凍しておいたこの間のじゃがいもニョッキとからめて食べたあとちょっと寒かったので、ダウンジャケットを着てソファでうたた寝する。気付いた時にはテレビ番組が、バイクでユーラシア大陸横断から演歌に変わっていた。すそあげ屋さんあったけど、あと30分で、19時で閉店、日祝休み。うたた寝する前に行けば間に合っていたのかどうか。梅田とかのすそあげ屋さんは何時間かですそあげできるけど。回していた回覧板がすべて帰ってきた。来月またクリーン大作戦があり、大作戦じたいはよいことだと思うけど、これもなんかみんなで「やろう」と決めてやっているというより、「やりなさい」とまでは言わずとも「やったらどうですか」、「やるようにしましょう」、「そういうキャンペーン中なのです」と市から言われてやっている気がする。自治会の幹事会兼理事会に来ていたなにやら鋭いおじさんは、自治会は行政の下請けなんだとは思うけど(けど以下は忘れた)、と言っていて、なるほどたしかにそうだなと思う。NPOも近いのかなと思う。重要なことは、人間は自分にとっての好ましい理由付けがないと絶対に動かないので、いかに人を動員できる「理由付け」をつくれるかどうかなんだろうなとつくづく思う。縦の階層構造で行動を管理・決定することは理由付けの一種だし、集団をつくること自体がそもそも理由付けの一種だし、「思い入れ」も理由付けの一種だし、いろいろあるなあ。プライドとか。グィンの「所有せざる人々」はぼちぼち読み進める。借り物なので風呂で読めずそんなに進まないが、それとは関係なくおもしろい。ちょうどいま半分くらいっぽい。テッド・チャンの短編集の「七十二文字」を昨日の風呂で半分くらい読んだ。眠くなったので上がる。そしてさっきその「七十二文字」を風呂で読み終えた。「世界紛争地図」は、「ロシア・中央アジアの紛争」を読み終えて次は中東。自治会の機能について考えてみると、地域の情報交換とか苦情とか報告とか主にそんな感じだと思うが、それらをット上で、それこそツイッターみたいなのでやったら、そんなにお金もかからない。地区ごとに住民代表として幹事を立て、その取りまとめをする副会長がいて、さらに自治会を運営する理事がいて、というような組織構造をとらなくてすむ。どっかやってるとこないか。いや、そういう組織構造の話は重要ではないのかもしれないけど。みんながどんな集団を準拠集団(=社会、と考えるのはまずいのかどうか)だと思っているかの話なのかもしれないし。会社員にとっての社会は会社・同業種業界・市場だし、学生にとっての社会は学校・クラス・部活・サークルだし、アーティストにとっての社会はアートシーンもしくはアーティスト仲間だし。