寝てたけど起きちゃったので、記す。昨日は6時起床。読書。文・朝倉喬司/絵・貝原浩「フォー・ビギナーズ・シリーズ 53 ヤクザ」、岡田暁生西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」を読み終える。青木淳悟「このあいだ東京でね」の「TOKYO SMART DRIVER」を読む。文章を書くっていうのは忍耐力がいると思うのだけれど、忍耐力というかひとことでさっさと片付けてしまいそうなところをグッと押しとどまるというか、なんなら書かずに済まそうというところをグッと押しとどまって、無理してでもことばに移し変えようとかことばをひねり出してみようということなのだと思うのだけれど、そういうことを読みながら感じた。ことばとことばのあいだには無数の隙間が空くものなのだけれど、ことばとことば、というより、ことばによる認識と、さらに別の認識のあいだなのだが、その隙間を意地になって埋める感じが好感が持てる。逆にいうと、そういう隙間を読む方の情感とか感傷で埋めてうっとりでもしっとりでもほろりとでもしたい人は反感を持つだろう。引っ越し屋さんが、もろもろ変更になったため、二度目の見積もりに来たときにちょうど洗濯が終わったので、とりだして、ネットに入れたやつはネットから出す。口笛文庫にて、ウィリアム・ギブソンニューロマンサー」100円、ヴィーコ「学問の方法」150円、ミヒャエル・エンデヨーゼフ・ボイス「芸術と政治をめぐる対話」1000円やったか。エンデとボイス?!と思って購入。ふたりのなかで「芸術家」の定義がまるで違うのが面白い。しかも結局言わんとすることは同じっぽかったりする。六甲道のしゅはりという潮ラーメン屋に入るのを待つあいだに読み始める。潮ラーメン、うまかった。チャーシューが上品。しかし、塩を潮と書くのは、コーヒーを珈琲と書くのに似たこだわりを感じる。うっとうしいといえばうっとうしいが。「ニューロマンサー」は寝るまえに読み始めて、さっき1章を読み終えた。 岡田尊司「パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか」もなんだかんだで1章まで読んでいた。彼女が美容室に行くのでついていってみる。いままでやったことがない髪型にしていた。よいことだと思う。その後、西北へ。無印とジュンク堂ジュンク堂で絵本をいろいろ見る。元永定正のがすごくよい。その後、マクドへ。あれ、東京の人はマックって言うんだっけ。ポテトLかドリンクLかのバリューセットを頼むとついてくるストラップ、というようなサイズではないけれども、をちょっと欲しいと思うけれど、あったらあったでいらない。自分ちに置きたくない。すくなくとも自分の部屋には。とはいえ、気になるので頼む。ポテトLかドリンクLのバリューセットと書いてあったような気がするが、ポテトLセットでと言ったらドリンクもLだった。Lセットなのか。ストラップというには大きいストラップはフィレオフィッシュだった。席に置いて帰ろうかとも思う。暑くて起きる。なにやらゴソゴソいう音が聞こえるので、泥棒かと思う。いやそんなことなかろう、ということにしようと思ったが、ゴソゴソというか階段をそっと上がってくるような音がするので、なにか武器になりそうなものを探すがカッターくらいしかない。姉ちゃんが倉庫の整理をしていて、いまはどこかに出かけている。湿気がすごい。六甲山の方から黒い雲がやってきている。志ん朝の「おかめ団子」「茶金」を聞きながら、段ボールにCDをつめた。小さい方の段ボール3つ。これはもう佐賀に持って帰ってもいいかもしれない。どうせ聞かんし。次に本棚。とりあえず小説を小さい方の段ボールひとつに入れる。本棚におさまっとるやつはだいたい一度は読んだやつでおそらくすぐには読まないものばかりなので、これらも佐賀に持って帰ってもいいかもしれない。読んだか読んでないか、読んでなくて近々読みそうか、で選別しよう。西宮の家に持っていくか、佐賀に持っていくか。写真集、すげー重い。でかいし。ベッヒャー夫妻のとか。「ニューロマンサー」、現時点で第3章に入った。物語としてはおもしろいと思う。なんというか、目の前の物事とか日々の生活とのギャップという点において。陰謀あり謎解きありアクションありハラハラドキドキあり。