寝ていたら、安全地帯「恋の予感」があたまのなかで聞こえてくるのでしょうがなく起きる。志ん朝の芝浜をラジカセで鳴らしつつ、youtubeで「恋の予感」がどんなんやったか確認。いいちこのCMの曲に似てなくもない。雰囲気が。あと、安全地帯の「悲しみにさよなら」という曲は、ドラゴンボールのエンディングテーマに似ている気がする。80年代の都市イメージへの憧れがなぜだかあって、これの出どころはいったいどこなのか。シティハンターの雰囲気とか。内容自体はぜんぜん知らんけど。マンガもアニメもほとんど見たことない。出どころとしては、やっぱりアニメか。サザエさんもわりと都会だし、ドラえもんもはどっちかといえば郊外だけれど、うちの地元に比べれば都会だ。住宅地なんてものがそもそもない。路地をはさんで家が並ぶなんて光景がそもそもない。昨日よなさんとこでも話したけれど、人が何人か集まってなにか活動しようとするときの、秩序のできかたが気になる。責任というものを生産性のあるかたちで分散させるにはどうしたかいいか。よなさんが言っていて面白かったのが、秩序のできかたについて、音楽のアナロジーで話していて、たとえば、音楽の演奏、ここでは即興演奏にでもしておくとして、まず個々の演奏者は自分の演奏に責任をもつ。そしてその個々の演奏者の責任(演奏)が重ねあわされることによって、全体の音楽の責任(演奏)がかたちづくられる。個々の責任が全体の責任と直結しているというか、それこそ重ねあわされているので、部分と全体みたいなことを考える必要もあまりない。個々の責任の範囲での意思決定の積み重ねで、全体の意思決定と責任の範囲が生まれて、その全体の意思決定と責任の範囲がまた個々の意思決定や責任の範囲に影響を及ぼしたり。でも実際には、音楽以外には、そういう重ねあわせのかたちで責任が分散されることはほとんどない。音楽でも、なかったりするし。個々の責任と全体の責任は、なんらかの調整をしないと繋がらない。あらかじめ全体の責任の範囲を決めておいて、それを切り分けて個別に分配する方法が多い気がする。個別の部分として責任を持つことがそのまま全体に責任を持つことになる、というのはどうしてもない。たぶん空間的な思考だからのような気もする。部分の責任と全体の責任は次元が違うことになっているので、部分と全体ふたつの責任を同時にもつことはできない。別々にとることはできる。部分の責任を部分の次元でもち、かつ全体の責任を全体の次元でもつ、というのはできる。でも、部分の責任をもつことで全体の責任ももっていることになる、っていうのは、ちょっとない。理念としてはあるかもしれんけど。自分の役割をまっとうすることが全体に奉仕することになる、みたいな。でもこれは責任が役割というかたちで切り分けられて分配されているだけなので、重ね合わせじゃなくてパズルのピースと全体の絵柄みたいなもんで、部分と全体の次元が明確に切れている。分業というシステムがそうなのかどうなのかいまちょっと分からんけども、ちらっと考える限り、いまの世の中はこういうパズルモデルで運営されている気がする。人と人の違いは、ただ与えられた役割の違いだけで、それらは入れ替え可能になっていて、パズルのピースの次元、部分の次元から、全体の絵柄を想像することはできない。いや、しようと思えばできるけど、なぜこの絵柄なのかは部分からは理解できないし、部分の次元から全体の絵柄は決められない。逆に全体の次元から部分の切り分け方は説明できるけれど、切り分けたあとの部分を個人へ割り当てる仕方は部分からではなく全体からのトップダウン式だしそもそも恣意性がぜったい残る。適材適所というのはおそらく部分的にしか成立しない。人間が生存するために必要な人工環境を維持するためには、そういう仕組みにしないと成り立たないのかも。妹の誕生日なので、姉ちゃんと妹との話し合いの結果、手巻き寿司をしようということになっていることを言われて思い出した。姉ちゃんが手巻き寿司の買出しに行くので、私はケーキを買いに行く前にツタヤへ。昨日借りたのを返して、また借りる。「枝雀落語大全第三十一集」、「愛宕山」と「一人酒盛」。ライナーノーツが古今亭志ん朝。枝雀は芸人というより芸術家だったのではないか、そして自分はやっぱり芸人なんだなあ。みたいなことで、おもしろい。あと、「昭和の名人 古典落語名演集 十代目柳家小三治1」、「船徳」と「野ざらし」。「野ざらし」といえば、柳好やったかな、三代目春風亭柳好のしか知らないけれど、どんな感じにやっているのか気になる。さらに、「決定盤 五代目古今亭志ん生落語集 その二」。二枚組で、「粗忽長屋」と「たぬき」と「宿屋の富」、「うなぎの幇間」と「あくび指南」と「火焔太鼓」。ケーキを買うべく、御影の高杉へ。いちごのケーキのホールがなかったので、カットのショートケーキをみっつ。あと、フィナンシェやったか、そういうバターの入ったやわらかめの焼き菓子。と別件の贈答用のチョコ詰め合わせ。道中、枝雀の「鷺とり」を聞きながら。帰りにブックファーストに寄ってみると、味写の本があったので妹のプレゼントとして購入。どうでもいいけどどうでもよくないけど、レジでお会計の終わった人がまだカバンに財布をしまっている途中だったりするのに、お次のお客様どうぞって呼んで前の人のわきから商品を受け取ろうとするのはどうかと思う。流れ作業じゃないんだから。レジの人にとっては流れ作業なんだろうけど。