篠原一「市民の政治学―討議デモクラシーとは何か」読了。いつやったっけ。ここ2、3日だとは思う。桂枝雀桂枝雀のらくご案内 枝雀と61人の仲間」はあとすこし。ブックオフオンラインにて、古今亭志ん朝, 齋藤明「志ん朝の風流入門」、古今亭志ん生「なめくじ艦隊 志ん生半生記」、広井良典「定常型社会 新しい「豊かさ」の構想」、 マルセル・ゴーシェ「民主主義と宗教」あわせて3000円くらい。「図書室の日」にてよなさんからグレッグ・イーガン「ひとりっ子」を借りる。短編集。ハードSFっていうのかしら?攻殻機動隊なんかわりに楽しめるので、出てくる設定や道具立てにはとくに抵抗なし。「行動原理」、「真心」、「ルミナス」、「決断者」、「ふたりの距離」まで読んだ。なんというか、面白いんだけど、金曜ロードショーとかでやっているハリウッド映画をなんか思い出す。「ルミナス」とか特に。どれも面白いんだけど、どこか物足りない気がするのが、金曜ロードショーでやってるハリウッド映画をうっかり最後まで見ちゃったときの気持ちに似ている。このまえ見ちゃったアイアムアレジェンドとか。どの短編もいろんな道具立てやそれと連動したテーマも面白いのに、なんとなく物足りない。きちっとしてはいるけど。推理小説みたいに一方通行な感じだからなのだろうか。はなしの進み方が単調というか。概要だけ見ると「ディアスポラ」とか「順列都市」などの長篇も面白そうだけど。ああ、なんか少し分かった気がする。設定と物語を、ビートとウワモノみたいな感じで捉えると面白くないのかもしれない。どっちがビートでどっちがウワモノかわからんけど。分けて捉えられちゃうこと自体が問題だともいえる。読み物の作り方として。あるなんらかの設定が物語によってかたちを成していくにつれてだんだんつまらなくなっていくというか、設定の面白さが小さくなっていく感じがする、なんにしても。あるSFふうのなにかの機器があるとして、それの説明書とか使用事例とか免責事項とか開発秘話とかの羅列の方が面白い気がするけども、どうなのだろうか。とはいえそういうのもたくさんある気がする。探し方は分からんし、読むのはしんどそうだけど。ピンチョン「スローラーナー」を紀伊国屋で購入。「図書室の日」に、初回の図書室会議に来てくれていたサトウさんが来ていて、「mogu book」というのをやっているとのこと。面白そう。→http://mogubook.net/

mogu bookとは


1冊の本がすごく気に入った時に、この本を読んだ人と話したいなと思うことがありました。

誰かと本について話すことで、その本をより深く(よく噛んで=mogu)読めるのではないかと考えています。

なんというか、趣味の合う人を探すのが目的の読書会(そういうのが一般的みたい、いつだったかの朝日だか日経だかで読んだ)にはまったく興味はないけれども、ある書物についてどういうふうに読んだか、なにを読み取ったか、を比較検討しあうのはとても面白いと思う。あと、サトウさんは「子供のころからよく読んだ本」について思い出してリストをつくることで自分の歴史をふりかえってみる、っていうのもやっていて、興味深い。こういうリストみたいなのって、やっぱりどうしてもよそ行きというかかっこつけが入ってきたりもするのかもしれん、というようなはなしを蛇谷さんとサトウさんと三人でしたりしたのだけれど、そういうのが意識化されるという意味でも面白いんじゃないかしらと思った。小学校のときはひたすら歴史マンガを読んでいた気がする。安土桃山時代がいちばん好きだった。あとあれだ、ずっこけ3人組だ。中学のときはどうだったっけ。エンデの「はてしない物語」は小学か中学か定かではない。中学のときはサッカーと塾で忙しかったので本を読んだ記憶はあまりない。姉ちゃんと妹の少女漫画は風呂で読んだけど。りぼんのとか。闇のパープルアイとか。ご近所物語とか。いくえみ綾とか。エヴァンゲリオンをよく見ていたな。ちょうど主人公と同じ歳だった。高校のときはどうだったっけ。ギターを弾くのに忙しかったので本を読んだ記憶はあまりない。ソフィーの世界を風呂で読んだ気がする。じいちゃんから「葉隠」のマンガをもらったのはこの頃か?赤塚不二夫だった。大学のときはどうだったっけ。箕面ブックオフまでカブで走っていって、村上春樹を100円で買ってきては読んだな。ほぼぜんぶ読んだんじゃないかしら。パトレイバーの劇場版をツタヤで借りてきて見てから、マンガのパトレイバーを買ったな。そのままいってれば、そんなに本を読まない生活になっていたような気がするけれども、やはりきっかけは保坂和志の小説や、とりわけ大きいのは「小説の自由」か。その保坂和志を知ったのは糸井重里の「ほぼ日」だった気がする。仕事しつつ、大谷君、よなさん、林さんとotosoraってバンドをやりつつ、いろいろ本を読みつつ、というふうだった。大学出て3年くらいは。おわっ、忘れてた。高校のとき本読んでた。藤原新也のいろいろとか、やすあきに借りた沢木耕太郎深夜特急」とか。そうだそうだ、それで高3のとき担任に進路を尋ねられて困って「旅人」と答えたのだな。なる気もないのに。そもそもなれる気もしないし、なれるとも思わないし、いまからなろうとも思わない。ツイッターは脳みそが直接ネットに繋がって思考をそのまま投稿できるようになったらやりたいなと思う。目の前のことを処理するのと、思考し投稿するのとに、脳みそのリソースを分割すれば、ちょうどいい気がする。