まだカレンダーが5月のままなのに気づいたけど、6月2日に彼女のお友達のうっちーのライブを見にベアーズへ。ベアーズは2回しか行ったことないが、どちらもうっちーのを見に行ったのだった。21時から出番とのことなので難波の無印でゆっくり時間をつぶしつつ20時50分くらいに入場。まだうっちーのは始まっていない。私たち含めて10人くらいか。前の人たちは二人組で、どちらもギターを持っていて、床にはエフェクターとか膨大な機材が乗っていて、ドン、ドッドッ、ドン、ドッドッ、みたいな強いキック音の上にジャジャジャジャみたいなギターをかき鳴らす音が重なっている。うーんどうやろ、と思いつつ聞いていると、ありがとうございました、と言ったので終わったかと思いきや、次の曲。曲が終わったらしい。次の曲。基本は強めのキック音に悲しい雰囲気のコード進行でギターかき鳴らしもしくは弓弾きかイーボウか、みたいなスタイルの模様。ときどき歌っていたが、声が割れていたので定かではないが英語っぽい。ずっと、なにをしたいのだろう、というか、なにを私たちに見せたいのだろう、と考えていたが、ふと、見知らぬ二人組バンドの練習するスタジオの一室に紛れ込んでしまいなぜか練習に立ち会う羽目になる、というのがわりといまの自分の心境をあらわすのに適しているんじゃないかという気がした。いまここにいることに納得がいかない感じ。なにをしたいのだろう、というか、なにを私たちに見せたいのだろう、と考えることによって、いまここにいることをかろうじて納得しているような状態。といいつつ、同じような状態を演者として引き起こしたこともある。ずっとまえに中山双葉さんに呼んでもらったイベントによなさんと一緒に出たとき、FLOATのヘッドフォンで聞く映像と音のイベントによなさんと出たとき。なんだろう、よなさんと一緒になんかやるときは、妙につめが甘いというか、なんとかなる気でいるけれどもなんともならないということが起こる。うっちーの前に出ていたバンドなのかユニットなのか分からんけれど、その二人組について、演奏の上手い・下手は置いておいて、いま演奏されている(ような)音楽を好き・嫌いで判断するならば、嫌いだし、演奏の上手い・下手で判断するならば、おそらく下手だ。だから、上手い・下手や好き・嫌いではないところで見れないかと思うのだけれど、それはなさそうだから、居心地が悪い。自分たちがこういうこと(音楽)をやることが当たり前のこととして考えられているというか、つまり「自分たち」と「やっていること(音楽)」のつながりを必然として認めることを観客に暗に要求しているので、なんの手続きも説明もなしに認めるのは無理だと思う。私たちはあなたたちの友達でもないしましては親でもない。「自分(たち)」と「やっていること」のつながりというのは、他人には理解しにくいものだしそもそも原理的には存在しないともいえるので、そのつながりを(ウソでも)観客に納得させる(つながりの必然性を客観的に証明するのはまず不可能)のがまず第一段階としてあると思うのだけれど、その段階をすっとばすと、自分の趣味・嗜好の表現としての制作物になっちゃって、趣味の合う人探しになる。これはもう「自己紹介」(いちばん最低なやりかたの)だよね、ということで去年の「プロフィール展」を考えた、というのもあながち間違いではないけれど、それがメインでもない。あれ、いま、「自分(たち)」と「やっていること」のつながりの必然性を客観的に証明するのは不可能と書いたけれど、それを必死でやろうとしてしまうのが、なにかをつくったりやったりすることのひとつの罠だと思う。おそらくオリジナリティとかアイデンティティというのはもはや問題ですらないのだけれど、個人レベルではそれだけが大きな問題として居座っている、というギャップがある気がする。だから「自分らしさ」という商品を消費することのひとつの極限として、表現ビジネスみたいなのがあって、いきなり「キュレーター」と称するなんだか分からない人物から「あなたのサイトであなたの絵を見てオファーした」みたいなメールが来て、ついては東京にある私どものギャラリーで「○○」をテーマにグループ展をするので参加費5万(だったか3万だったか)で参加しないか?みたいなことがまかりとおる、というか、それにひっかかる人もいればひっかけようとする人もいる、ということは、それが成り立つ世の中であるということで、そういう世の中はどうなんだろかと思う。しかも、ひっかかる人もひっかかろうと思っているわけではないだろうし、なんならひっかける人もひっかけようと思っているわけではなく、みなさまの表現活動をサポートするのだ!なんて義務感にかられてすらいるのかもしれないが、もしそうだとするならば、より救いがない。役所にて国民健康保険、20000円。ツタヤに寄ってみる。落語はけっこう豊富。do make say thinkの新しいのと、枝雀の「枝雀落語大全第十四集」、立川志の輔の「志の輔らくごのごらく1「はんどたおる」「死神」」を試聴。たしかに枝雀の「幽霊の辻」はCDになっているのよりyoutubeにあるやつの方がよいかもしれない。「ちょっとお知らせしときます」のありなしはけっこうでかい。「宿替え」も「The 枝雀」に入っている口演(1981年)よりも、youtubeの(1997年)が面白い。「それが口答えというものですよ」のありなしはけっこうでかい。口笛文庫にて、茂木秀昭「ザ・ディベート―自己責任時代の思考・表現技術」、立川談志「談志楽屋噺」、クレメント・グリーンバーググリーンバーグ批評選集」、よりぬきサザエさんNO,11、しめて2000円。りずむぼっくすにて、Mouse On Mars「Radical Connector」を1200円。おっ、なんだ、いま家がたてにボッと揺れたぞ。