先日パリに行く夢を見たが、パリの路地裏を見て「のだめで見た!」と思った。でもそもそものだめをちゃんと見たことがない。宮原勇「図説・現代哲学で考える「表現・テキスト・解釈」 (京大人気講義シリーズ) 」は昨日の風呂で読了。後半、内容が薄くなった気がしたが気のせいか。基本的に基本的な事柄だけなのか。桂文我「落語「通」入門」は3日前くらいに読了。土井隆義「キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像」はだいぶまえに読了。山岸俊男「心でっかちな日本人―集団主義文化という幻想」も3週間くらいまえに読了。たしか。いまは、阿部斉「概説 現代政治の理論」と古今亭志ん生小島貞二(編)「びんぼう自慢」と野矢茂樹「入門!論理学」と加藤周一「20世紀の自画像」が終わりそうで終わらない。あと20ページくらいだけど読むのがしんどい。週刊ダイヤモンド3月13日号「FREEの正体」も買ってみたが、そんなに面白くもなかった。「FREE」は気になるが。あと、先週の土日はFLOATにて楽しく過ごした。が、細かく書いている時間はない。土曜日の「できごとの日」で行われたことについて、日曜日の「図書室の開放日」にやってきたなっちゃんや松本さんたち、蛇谷さんと話したことが面白かった。実際に「できごとの日」に居合わせたのは私と蛇谷さんだけだけれど、行われたことの概要だけではなしができるということは、それだけシンプルで抽象的だからなんだろうなと思う。松本さんが、神田君の「牛乳瓶と紐」について、見てないけど面白そうだと言っていたが、見てないけど面白く感じる、という状態はなかなか興味深い。サンガツの新譜が変。「5つのコンポジション」。作曲というか構成はしてあるんだと思うけれど、構成のように聞こえなくて、自分のとって音の構成といったときミニマルテクノを指すから(なぜなら私は音の象徴的関係を読み解くことができない)というのもあるけど、とはいえ構成のように聞こえないからといって脱構成的な音の配置かというとそうでもないし、脱構成的ってなにかわからんし。保坂和志さんの小説みたいだなと思った。時間の流れ方が。出来事、エピソードの構成の仕方というか。順次、時間軸に沿って起承転結として線形につながっていくのではなくて、出来事を含む場の設定があって、それに基づいて出来事が「便宜上」時間軸に沿って置いてある。もちろん、出来事の起こる順番はどうでもいい、というわけではないと思うけれど、順番だけが重要なわけでもない。相対性理論っていうバンドの曲をyoutubeで聞いてみたが、たしかに好きな人は好きそうだ。そして好きな人(潜在的に好きかもしれない人も含む)はけっこういそうだ。でもパフュームを好きな人は聞かなさそうだ。その逆も。しかしどっちもいける人もいそうだ。どっちも「オシャレ」で嫌だという人もいそうだ。「素直に好きだと言うのは恥ずかしいけど好きだ」という素直にひねくれた人もいそうだ。あと、ポピュラー音楽は、歌詞というかキャラが重要なのだな、と思った。キャラとそれを発揮する文脈もか。同じバンド編成、同じアレンジ、同じメロディでも、ボーカルと歌詞が違えば、特に歌詞か、そんなに受けないかもしれないけど、「かもしれない」を考えることにたいした意味も意義もない。でも、同じバンド編成、同じアレンジ、同じメロディで、いかにも「ボーカル」っぽい人が、真面目に愛とか恋とか人生とか歌ってたら、救いようがないくらい嘘っぽくダサかろうなと思う。歌詞と節回しがなんだか変であることによって、曲、とくにアレンジのベタな感じが「わざと」のように見えるのが、ポイントなのか?わざとですよーって言ってくれてるから、安心して受け入れられるのかしら。いや、でも歌詞の変な感じやキャラもベタといえばベタだしな・・。歌詞とアレンジの相互作用というか、相互に「言い訳」になっている感じがする。「ベタな感じ」にいかにリアリティを出すかという問題??ネタとかベタとかいうのはこういうことなのか?あと、なんか、「これを聴いても誰かにバカにされることは(ほとんど)ありませんよ」という雰囲気、人為的な、があるなあ。みんなしてそれをつくってるというか。それを選択するにあたってのリスクをあらかじめ回収してある感じというか。これはパフュームにもある。ああ、そういうのが多くの人に好かれる条件というか、ヒットの条件というか、大衆性の条件なのか。おお。そうか。どうやろか。