タッタカさん、すいません!http://d.hatena.ne.jp/k11/20100116にいただいていたコメントに気づいていませんでした。お返事をいたしました。のと、昨日の夜にしたお返事をだいぶ変えてさっき投稿しなおしました。2/23から27まで仕事で東京に行きます。夜にはすこし時間がありますので、またお話ができたらと思います。よろしくお願いします。私信ですが。というか、自分の日記に書かずにメールしろよ、という感じですが。金曜の夜からばあちゃんちに泊まり。おじさんが出張なので。どこにかは不明。本日午前中に帰ってくる。カニを持っていた。福井に行っていたとのこと。中村圭志「信じない人のための〈宗教〉講義」は「14 儒教道教――転変の世界」まで読む。いまのところ、ぜんたいとしては橋爪大三郎「世界が分かる宗教社会学入門」とかぶるところ多々。復習にはなるけれども。あっちの方が若干まだ細かいのかもしれない。「開会式」ってなんなんだろか。岡田暁生「音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉」 「おわりに」より。まとめを兼ねた箇条書きの「聴き上手へのマニュアル」のひとつ。

・ある音楽が分からないときは文脈を点検する。特に背景知識の有無。それをどんな場で聴いたか、こちらが何を期待していたかに注意。「ぴんと来ない」ケースの大半は、バックグラウンドに対する共感がなかったり、場違いなTPOで聴いてしまったり、見当はずれな期待をしてその対象に臨んだことに起因する。

たしかに・・。音楽に限らずそうかもしれない。でも、ある対象(音楽でもなんでもいいけど)が、それを「分からない」場合がありえない、つまり、「分かる/分からない」「面白い/つまらない」が文脈に依存することに無頓着に見える場合などには反発したくなったりするし、また相手(送り手)の望む「期待」をこちらが抱くことに反発したくなったりもする。期待された「期待」を受け入れたくないというか。なんでそちらの思う理想の観客を演じないといけないんだよと。でもこれも単に期待のズレかも。こっちが読み取った先方の期待する「期待」っていうのがどうなのかという問題もある。それをスタートにしていいものかという。ほんとにそうなのかというのもある。バックグラウンドに対するリスペクトもあるかもなあ・・。相手が「はいコレ!」って提供してくるものを面白がれないときがある。いや、「はいコレ!」って提供するというやり方自体に強い疑いがあるのか・・。コレ!って言われたらそれ以外で受け取ったらダメみたいになっちゃうし・・。そういうのはつくり方としてそれ以外の受け取り方がほぼないのだけれど。作者の意図と作品の意図がまったく同じになるようにつくってあるというか。いやつくり方としては、別におかしくないけど、場合によってはなんか窮屈になることがあるような。