関西弁で「そうじゃないんじゃないの?」というのは「ちゃうんちゃうん?」になるのかどうかが気になった。日音色open企画展「日・音・色」しおり展が最終日なので、彼女と連れ立って谷町6丁目の日音色さんへ行く。販売用しおりは残り1枚になっていた。ルカーチレーニン論。たしかに敬遠されそうなくらい硬派なやつではある。私はオリジナルブレンドの「凪」、彼女はミルク珈琲、ふたりでチーズプリン季節のフルーツソース添え。季節のフルーツはなんだろうと話し合って、リンゴかいやナシか、チーズならトマトを甘く煮たソースでもうまいよ、季節じゃないけど、とか言っていたら、いちじくだった。たしかに、いちじく、季節だな。19時40分くらいまで、ぼんやり過ごす。19時半くらいによなさんから電話、プロフィール展ともうひとつ別件。展示用として展示してあるアポリネール詩集を使ったしおりは、日音色のオーナーさんによかったらもらってください、ともらっていただいて、ルカーチレーニン論を使ったしおりは彼女へあげる。結局、8枚(と8冊)つくって、2枚(と2冊)を人にあげて、6枚(と6冊)は売れたわけか。しかし、よくよく考えたら、100円で仕入れた古本の文庫本をもとにしたしおりを100円で売るっていうのは、商売としてはおかしいことになっていて、販売手数料もふくめると、商品としては赤字にしかならないものだけれど、人の手に渡って使ってもらうことに意味があるので、黒字になる必要はとくになく、ついでにいえば誰の作かというのもまったく問題ではなく(そもそも今回の件は「しおり」というお題あってのもので、そのお題を出したのは日音色のオーナーさんであるし)、ぜんぜんオーケーであるけれど、商売としてはダメであるけれど、そもそも商売ではない。物事の構成というか構造的に商売ではないのにむりやり商売の文脈に乗せてしまうからややこしくなることというのは、たぶんたくさんある。商売としてつくってないものを商売にすることはやはり無理がある。どっちかに絞るというわけでもなくて、商売として「も」つくる必要がある。日音色open企画展「日・音・色」しおり展や日音色さんについてはちょっとまえにも書いた。→http://d.hatena.ne.jp/k11/20090825 しおり展に参加するまでは日音色さんにはなんの縁もゆかりもなく、beyerで拾ったしおり展のお知らせの「しおり」をみて参加させてもらったのだけれど、こういうふうにひょんなきっかけから、新たな場所と人とのつながりができるのは、わりと面白いかもしれない。プロフィール展もそうだけど、公募展っていうのは、そういう面白さがある。とはいえ、参加費とか出品料がかかるのであれば、参加しなかっただろう。参加費、というか、運営側が参加者から一律で徴収して使い道はぜんぶ運営まかせ、という税金のような「参加費」はないほうが望ましい。渋谷慶一郎さんの日記で出てきて知ったのだけれど、「談」という雑誌がけっこう面白そうで、最新号の特集は「生存の条件」。→http://www.dan21.com/ 後藤玲子『「生存」、潜在能力アプローチから考える』、萱野稔人『「労働と賃金の分離」の前で資本主義は沈黙するか』、佐々木中『この世界における別の生……霊性・革命・芸術』の3つの、インタビューというより、語ってもらう、みたいな感じかしら、「談」だけに。「夜戦と永遠 フーコーラカンルジャンドル」の佐々木中さんがB-BOYなのに驚く。梅田のブックファーストで取り扱いがあるということで、探すも人文系の雑誌のところになく、1階の雑誌のところにあった。山脇直司「公共哲学とは何か」は「第3章 日本の近・現代史を読み直す」の「5 反面教師としての昭和初期思想」のあたり。プライベートモードのはてなダイアリーを書いている人はいったいどういうことを書いているのか気になる。罵詈雑言とか?個人的なメモとか??