18時50分の特急博多行きに乗り、20時ちょうどののぞみ48号名古屋行き、48かどうかは定かではないが、に乗って新神戸。なんだか分からないが、特急博多行きから新神戸で降りるまでずーっと近くの席だった女性がいた。新幹線の席に座ったとき、有田で買ったフォカッチャにアリが来ているのを発見して、フォカッチャはもう、捨てる。紙袋のなかにもいる。ちょこちょこ腕や脚にいるので、指でピンとはじく。九州のアリが名古屋まで行く。野崎昭弘「詭弁論理学」をしばらく読んだあと、西沢立衛編著「西沢立衛対談集」を読了。姫路から新神戸のあいだに、「VOL lexicon」の目次をみながら興味のあるキーワードのページをぱらぱらと。けっこう面白い。8月8日、本日よりオープンする谷町6丁目のギャラリー喫茶「日音色」さん(http://www.hineiro.com/)にて、「日音色open企画展 「日・音・色」しおり展」が始まる。公募で募集する「しおり」の展示なのだけれど、この募集の「しおり」をbeyerで見つけて、ちょうどしおり欲しかったしありがたくいただいて使っていたら、しおりの公募展でしおりを募集しているとのことで、地下鉄の中でしおり・・と考えていたら、「しおり」作りのルールを思いついたので、参加させていただいた。偶然にも「しおり」というお題に出会って、偶然にもルールを思いついたので、やってみようかなと思い、日音色の方にも相談させてもらいながら、やってみることができた。あと、8月9日、明日はFLOATにて「Seeレーベルオープニングライブ」。http://float.chochopin.net/event.php?day=20090809 かつて、otosoraという映像と音楽のバンドを一緒にやっていた、大谷君と林さんのレーベル。お祝いしに行ってみる。あと、昨日の、香山リカさんの本についての云々で、ふと気づいたのが、いまプロフィールを集めてまわっている「プロフィール展」は、あくまで「自己紹介」を展示するものであって、「自己PR」を展示するものではない、ということ。こう言うと分かりやすい。しかし、いまや、一般的には、自己紹介=自己PRということになっているようで、これはどうかと思う。悪い意味での人間存在の表現物化が起きている、明らかに。今日ひさしぶりに、偶然会った高校の友達に、今度いろんな人の自己紹介だけば展示すっ展覧会を企画しよっとばってん、とプロフィール展のお誘いをしていたら、あんた・・アーティストやろ!?と言われて、若干否定的な響きを感じとってしまったので、すこしたじろぎつつも、アーティストではないので、いや普通の人よ、と言ってしまったが、そもそも、アーティスト/ふつうの人、という二分法自体がおかしい。アーティストやろ!と言われて、否定的な響きを感じとってしまって、ふつうの人よ、と答えなければならない状況が、すでに、かなりおかしい。けれど、責任の多くの部分はアーティストにあると思う。なんか抑圧している感じがする。ふつうの人におおらかさ・余裕がなくなってきたのもあるけれども。でもまだ、アーティストよりは、ふつうの人の方が余裕・寛容さがある。といいながらも、面白がりつつ協力してくれそうでよかった。この友達、彫刻をずっとやっていて、いまは高校の臨時の美術教師をやっているらしく、正採用に向けて走りこみをしているらしい。体力テストみたいなのがあるらしい。本日、8月8日分の、ほぼ日刊イトイ新聞糸井重里さんによる今日のひとこと、みたいなのが面白くて、「好きこそものの上手なれ」ということばを信じるんじゃない!という内容で、たしかにそれはそうだ。好きなことと得意なことは、まったく違うし、それらが同じものである必要もなければ、同じであることが幸福であるわけでもないし、さらにいえば、好きなことと得意なことが同じであることで人々を幸せにするかというと、実のところ、そうとも限らないわけだし。「好きでやっていること」というのは、どこか、他人にも「それを好きになること」を強要するところがある。でなくても、「好きでやっている」という感覚を共有できる範囲に閉じこもる性質がある。「好きなことを仕事にしよう」というのは、「好きこそものの上手なれ」より、さらにたちが悪い気がする。おうおうにして、自分の好きなことよりも、自分の得意なことをやる方が、みんなのためになる、というのは、たしかにある。得意だし、別に嫌いでもない、くらいのことをやる方が、ちょうどいいのかもしれない。糸井重里さんの今日のひとこと、みたいなやつでは、さる名物社長が『事業なんかを、好きでやられたら困る。おおぜいの人を不幸にしますからね。ぼくは好きやないです。得意やったんですわ』とおっしゃったらしいけれど、アーティストや音楽家表現者やクリエイターやなんやかやもまた、作品を売ったり、ライブでお金をとったり、そういう営利的な活動をするのであれば、個人事業主なわけなのだけれど、まったく商売としてなってないというか、商売としての倫理観みたいなのが欠如しているように見える。生産したものは消費(販売)されなければならない、というのは、たしかにそうなのだけれど、だからといって生産された分がすべて消費されるわけでもないし、消費されるなにがしかの意義があるものを生産する義務が生産者にはあるだろう。