さいきんずーっと、わりあいそれこそずーっと、この問題について考えていて、自分の視界の限界を受け入れつつそれでも全体を見回そうとすると(超越論的な視点??)、とたんになにもかもつまらなくなるという、ことなのだけれど、つまらない、ということばは自分の感覚をどうも適切に表していないようで、あまりに「ただそれだけ」なので、どうしたらいいか分からない、という感じのようにも思える。たとえば、なにかの表現にしたって、その時その場所の状況に限って見てみると、つまり、かたちだけでもいいから「祭り」・「踊り」に参加してみると、それなりに楽しめるというか、参加者としての視点が出てくるためローカルな視点で固定され、安定する。でも、自分の視界の限界を受け入れつつそれでも全体を見回そうとすると、つまり、その時その場所を離れて、当の表現を漠然とした大きな脈絡に置いてみようとすると、「祭り」・「踊り」の傍観者になると言い換えてもいいけど、とたんに面白さが分からなくなるというか、あまりに「ただそれだけ」なので、どうしたらいいか分からなくなる。これは、ある表現を、それが想定する価値体系に、ちゃんと置かないと、面白さが分からない、という問題でもあるのだけれど、それは裏を返せば、ある表現は、それが想定する価値体系の場所に置かないと、「ただそれだけ」にすぎない、ということでもある。そして、実のところ、ある表現が、それが想定する価値体系に置かれることで見えてくる「面白さ」というのも、「祭り」・「踊り」の「参加者の視点」というもの、つまりはえこひいきみたいなもんだけれど、によって生み出されているにすぎない、ように見えるのが、大きな問題かなと思える。とはいえ、ある表現をそれが想定する価値体系「以外」の場所に置いてみても、意外に面白がれる、ということもあるので、ある表現とある価値体系は分離不可能なものでもない。でも、ある表現を評価する際に、それが属する価値体系をまずは受け入れないといけない、というのが、非常に面倒というかうっとうしくて、なぜなら、他者が自分の表現が属する価値体系を受け入れる=他者が自分の表現を受け入れる=他者が自分を受け入れる、みたいなよくわからない三段論法というか、勘違いがあるというか、わざと勘違いして自分が認められたと思いたい、みたいな雰囲気がけっこうあるので、それがちょっとしんどい。で、そういう雰囲気に参加するのは嫌なので、ある表現が属する価値体系をいったん無視して、ある表現自体に向かってみるものの、そこには漠然とした雰囲気やイメージの連なりがあるだけで、他にはなにもなくて「ただそれだけ」で、いったいどうしたらいいか分からない・・・という堂々巡り。ここ何日か、東浩紀さんの「動物化するポストモダン」をめちゃくちゃおくればせながら読んだので、データベース消費としての創作、みたいなことを考えてみたけれども、それは言い換えると、ある価値体系・価値観を表現、表象、象徴、なんでもいいが、とにかくある価値体系への参入の表明として「のみ」機能する創作ともいえる。ある表現を、それが想定する価値体系に、ちゃんと置かないと、面白さが分からない、というとき、表現自体はどのような構造をしているかというと、たとえばロックという表現様式があるけれど、まず「ロック」らしさによって表現される自分の属する価値体系があり、その次にその価値体系=ロックとしての内容がある。これがさらに進むと、ちょっと転倒して、ロックという表現様式によってなにができるか、ではなく、ロックであること自体、ロックらしいこと自体、が欲求されるようになる。これは、自分の属する価値体系のなかにおける面白さが完全にかたちだけのものになって、オレってロックだよね、というだけの表現になってしまうのではなかろうか。だから、いまの文章の「ロック」を「表現」という漠然としたものに変えても成り立つのだけれど、一般に流通している、なんとなく文学的とかなんとなく美術的とかそういう記号をちょちょっと操作するだけで、「表現」らしきものができて、オレって表現者・・、ということを表現するだけの表現になってしまうかもしれない。ここで重要なのは、なぜ自分がロックをしないといけないのか、という問いが完全に抜け落ちてしまう構造になっているということで、なぜオレがロックをやるのかって?それはオレがロック(が好き)だからだ!というような、同語反復によって支えられている。なので、いまの時代、なにかひとつに専念するというのは、さきほど書いたような意味での同語反復の罠にはまらないだけの精神力というか理性がないといけないと思うのだけれど、そんなもの凡人には普通ないので、編集者的な態度で表現様式なりデータベースなりを扱うのが無難、というか、わりあい正統だと思われる。いまからシャワーを浴びて、FLOATへ山本握微さんの「運動展 -slip- No.53835 - 53899」、「クロージングイベント ドキッ☆会社員だらけのシンポジウム 「普通にとって芸術とは何か」」に行ってみる。山本さんのイベントなので、山本さんのやっている「今行処」に投稿するのは、ちょっとはばかられる。