雨。まだ梅雨なのだろうか。雨用の靴がひとつしかないから、けっこうしんどい。どんな靴でも、履こうと思えば雨でもなんでも履けるのだけれど、サンダルを雨で履くとビヨビヨになっちゃうし、キャンバス地のを履いてもビヨビヨになっちゃう。雨に弱いのばっかり持ってる気がする。TATTAKAさんへのお返事で、わりとネガティブなマトリックス的(笑)世界をイメージしていたのですが、よくよく考えると、「表現行為」の全体を見回すような超越的な視点でみるとそうなってしまうけれど、自分自身の経験の世界というか、身の回りの世界においては、いろんな表現をとくに問題なく楽しめる気がします。しかし、そういう構造自体が、マトリックス的世界のような気もします。自分の視界の限界を受け入れつつそれでも全体を見回そうとすると(超越論的な視点??)、とたんになにもかもつまらなくなるという。鶴見俊輔「限界芸術論」かなにか、本人ではなく別の人の文章だったような気もしますが、で、「祭り」に傍観者としての「見物人」が生まれたときに「祭り」が変質した、と書かれていたのを思い出します。絶対に「出て」はいけないのかもしれません。「同じ阿呆なら 踊らにゃ損々」というのはこのことに対して言っているんだなと思いました。最初は「見物人」でも、自然に「踊り」に参加できるひと、というのは確かにいて、とても羨ましく思います。