昨日、六甲駅について阪急オアシスに寄り傘の水滴とびちり防止のビニール袋だけもらって改札を通る。岡本で特急に乗り換えて、入り口よこのてすりによっかかりつつ、郡司ペギオ−幸夫「時間の正体 デジャブ・因果論・量子論」、「第3章 マルコ・ポーロ―時空の内的記述」の途中からいきなりでてくる「ジーブ」ってなんだよ!と思いつつ読み進める。いま「ジーブ」でググっても、「もしかして:ジープ」と言われる。いや、ジープじゃなくてジーブなのよ、知りたいのは。ジープはいまは関係無い。夙川だったか、そのへんで、結婚式の二次会的服装の若い女性二人組、電車に乗ってくるときには三人組に見えたが、二人のうしろにいた女性は無関係だとのちに判明して、その二人組は私のよこあたりのつり革につかまる。そしてひたすら恋愛話、恋バナ(笑)。熱心に恋バナをしているので、ジーブに集中できない。私から見て奥の女性をAとして手前の女性をBとする。電車に乗る前から話していたらしきはなしは女性Aの最近の恋についてで、いつも行く美容室で担当してくれている美容師と最近いい感じらしく、そのはなし。その美容師は垂水のひとらしく、女性Aより年上で、車を持っていない。原付は持っている。以前は車を持っていたが、美容師が使うハサミを買うために売ってしまった。車がないのはいたいよなー、今度USJに行くんだけど、車で行きたいよねー、とは女性A。それに答えて女性B、いやUSJやったらバスでもいいんちゃう、でも車でしか行ったことないけど、とのこと。女性Aは美容師とのメールのやりとりのなかで、敬語つかわんでええよー、というようなことを言われたが、いやいやいやいや、むりむりむりむりむりむり、と思った、とのこと。女性Bも、過去に担当美容師に3,4年ほど片想いしていたらしく、彼女がいるかどうか訊けずに3,4年経ったある日、その美容師が自分の子供のはなしをしだして、えっ、結婚してたん!とショックだったらしい。そんなこんなで、そのショックも乗り越え、最近は1歳年下の、ということは23歳の、女性Bは24歳らしいが、建築関係の仕事をしていたが去年の10月で辞めて、ぶらぶらしているときによく遊んでいて、その元建築関係23歳氏とその先輩と3人でスノボに行ったりしたらしい。元建築関係23歳氏の先輩がスノボ行くんやったら女の子連れて行こうや、ということで、女性Bに友達と一緒にどう?というはなしがあったらしいが、女性Bの友達はみんな仕事で忙しかったりして都合がつかず、元建築関係23歳氏とその先輩と3人のスノボになったらしい。今週のモーニングのバガボンドに面白いはなしがあって、武蔵を保護というか軟禁なのかそのへんはちゃんと読んでいるわけではないから分からんが、とにかく武蔵を家においている板垣というじいさんと武蔵のやりとりに、たしかこんな感じのがあって、うろ覚えとまではいかないが、いちおううろ覚えになるのだろう。自分を圧倒する誰か、自分にない「なにか」を持っている誰か、に出会ったとき、人間は、その「なにか」を持っていない自分に「引け目」を感じる。その「引け目」自体はちいさな心の揺れだけれども、そこからおうおうにしてふたつの方向に行きやすい。ひとつめは、自分にない「なにか」を持っている誰かに依存し崇拝し同一化しようとする。自分を捨てその誰かになろうと欲する。ふたつめは、自分にない「なにか」を持っている誰かに対して、敵対心が生まれ、攻撃的になる。自尊心を守るために攻撃的になる。しかし、いちばん良いのは真ん中である。真ん中、真ん中。というようなはなし。だいたいそんなようなはなし。たしかに、そうだと思う。依存か、攻撃か、のどちらかだ、たいてい。自分の経験に照らし合わせてみても。そして対象は人間に限らない。「芸術」とか「音楽」とかそういうかたちのないものに対しても起こる。とはいえ、厳密にいえば、真ん中なんて無理なのだし、そもそも「真ん中」を目指すひとは、自分からみて「真ん中」の境地にいるように見えるひとに「引け目」を感じる、とかいうことになるわけで(武蔵に対する板垣というじいさんがそうだ)、それはそれで不毛っちゃあ不毛だけれど、むやみに依存したりむやみに攻撃したり、するよりマシではあるかもしれない。真ん中真ん中、というよりももっと簡単なのは、なにも欲しがらないこと。でもポジティブに、良い意味で、ってことだが、欲しがらないこと、っていうのができるかどうかはよく分からない。たいてい、欲しがらなくなる場合、欲しがること=欲望に挫折して、欲望を抑圧することが多いので、ネガティブに欲しがらない。どうせ欲しがっても手に入らないのだから、と欲しがること自体=欲望を諦める、という。そうじゃない、欲しがらない、があるのかどうか。あと、ブルーノ・ムナーリ「モノからモノが生まれる」より

友人のアントニオ・ロベリーニが次のように言っていた。「解決できない問題は、問題じゃない。解決できる問題なら、問題じゃない」と。まさにその通りである。さてこの主張からは、いくつかの見解が生まれる。それは、なによりもまず、問題が解決できるか、できないかの区別の方法を知る必要があるということだ。

昨日の夕食は、もち・チーズ・明太子もんじゃ、牡蠣のバターポン酢、イカとキュウリの柚子胡椒サラダ(ただのマヨネーズサラダっぽかったが)、インカの目覚めのじゃがバター。今日は、インデアンカレーで、レギュラー、たまごで。