猫の居候がいる。牛猫。ウシみたいな柄の。いや、柄はそんな牛っぽくもなくて、白黒ってだけ。人見知りしない猫なので、すぐ仲良しに。部屋のドアを開けといたら、いま入ってきた。ふとんの上にいる。パトロール中。猫の居候。牛猫。メス。どっか行った。と思ったら開けっ放しになっている押し入れの3段積まれたプラスチックの服ケースと押し入れの一段目の天井、というのかなんというのか、これなんと呼ぶのか、のあいだにいる。猫の居候。犬のジュース屋さんと似ている。犬はジュースでもなんでも売って自活しそうだが(それか主人に仕えるとか)、猫は居候暮らし。妹と姉ちゃんは猫の毛アレルギーだったのか、顔にプツプツができて痒いらしい。花粉もあるかもしれない。六甲はけっこう豪雨。今日の未明から朝方にかけて。猫は押し入れの奥からこちらを見ている。田口史人さんのインタビューを読みました。http://www.webdice.jp/dice/detail/854/ ひじょうに面白かったです。自主制作のCDっていっても、やってることはメジャーとまったく同じで、規模が違うだけ、っていうのばっかりだ、というのは、たぶんたしかにそうで、別にそれが悪いわけではないけれど、規模が大きいからこそ成り立っているようなことを規模を小さくしてやっても意味がない、とか、メジャー的なパワーゲームになんで乗るのか、「あえて」なのか、それともそういうパワーゲーム自体に憧れがあるのか、なんなのか。でもこれは「なんとなく」だけれど、メジャー的なパワーゲームに参入してこそ「一人前」・「本気」だ、っていうなんだかよくわからない雰囲気はたしかにあることはある。CDをプレスしてタワレコに並んで(卸しをとおして)こそ「音楽」。CDに限らずライブでもそう。田口さん曰く、大阪は厳しい、とのことだけれど、どうだろう。たしかに「楽しめる空気」があるかというと、ないような気もしなくもないけれど、それは単に私が出不精・筆不精・付き合い不精なだけだと思っていて、つまり「知らない」だけだと思っていて、私の感覚、というか、私自身はずっといまみたいな感じというか、楽しめる空気があるとはいまもむかしもそんな思えてなくて、とりあえず信頼できる友人たち(とても少ない!)にまず楽しんでもらえるように思ってやっているし、正直なところ、その少ない人数で構成された範囲以外にまで関わる気力がない。。これはたぶん私に地力がない、だけで、だって森本アリさんとかすごいし、周りにたくさん人もいれば、面白いことが起こる場や雰囲気をつくっているし、なによりなんだか分からないが、アリさん本人を目の前にすると、包容力を感じる。それはそうと、

東京だと、批判されたら他に行くところがある。だから甘くなっていく。東京は交ざらなくてもやっていけるから。だから、どうしても意外な発想がでてこなくなる。

ということばが印象的。大阪もまあ東京には負けるけど大都市だし、「他に行くところ」はあるだろうけれど、そういう問題とは別に、私にはそもそも「行くところ」がない、という感じを、それこそだいぶ前から持っていて、とかいっても、オレには「行くところ」がない、なぜならオレは孤高の存在だからだ。オリジナリティがありすぎるからどこにもおさまらないのだ。みたいなことではなくて、なにをやっても中途半端なので、そういう意味でどこにも「行くところがない」。というよりも、「どこに行っても結局は同じ」なのだ。どこに行っても中途半端なのは変わらない。とかいっても、中途半端なのをめちゃくちゃポジティブに「ボーダーレス」・「越境の精神」とか考えるのもアホらしいし、というか、どんだけポジティブなんだよ!ということで、ほどよくネガティブに「行くところがない」し「中途半端」である。まあ、すくなくとも最近は特に守るものはない。プライドもなければ、美学もないし、なにか言われたら一瞬ムムッとは思うけど、その視点に立ってみれば言わんとすることの正しさが分かるし、私が「私」である根拠がない、とかいうのは悲観的な考えで、私が「私」である必要がそもそもないのだろう。必要がない、っていうのはけっこういい。意味がない、とか、じゃなくて、必要がないだけ。ああ、でもどこにいても交ざらなくてもやっていけるのは同じで、私もそんな交ざっているわけじゃないし、だからやっぱり甘いのは甘い。場慣れ・手馴れはしないように、というか、そもそも中途半端なので、場慣れ・手馴れのしようがないけれど、慣れ/馴れないように、ということで、同じことを二度しない、というのはあるけれど、最近はなんにも思いつかないので、二度やってしまったり、している。。でもまあ、交ざっても馴れ合いにしかならなければ、あまり楽しくないわけで、そういう意味で、江崎さん・木下さん、という先輩の存在は大きい。最近でいえばみやけをさんも。KAVCのHさんもか。吉村さんも先輩だな。先輩はやっぱりちゃんと言ってくれるし、だからこそ無茶なふうにぶつかってもいけるわけで、そういうふうにぶつかるのはわりあい楽しい。同年代のみつ君、直嶋君、平間君、よなさん、川口君、嵐君もそうか。みつ君、直嶋君、平間君(あと川口君とよなさんも)に関しては、いつも連れ立ってはいるけれど、ほんとうにやっていることが違っていて、たぶん一括りか、だいたい同じ方向を向いている、くらいに思われているかもしれないけれど、それぞれぜんぜん違っていて、けっこうそれぞれに他のみんなのやっていることに対してシビアな目線を送っている。そういうのが、けっこう楽しい。おっと、書き忘れていた。居候の猫は、犬と暮らしていたので、じゃっかん獣(けもの)臭い。