http://d.hatena.ne.jp/k11/20081230の映像と音のイベントの件で書き忘れたことがあって、私はこのイベントに出演して(米子君と一緒に)「自分がやったこと」について「追い詰められ」ということばを使って語っていて、このことばで言い表そうとしていたのは、「追い詰められ」てどうにかしようとあがくこと、いま起きている出来事に入り込んでなんとか次の一手をムリヤリにでも打とうとすること、を通じて経験されることは、広い意味での(つまり、純粋に方法・やり方・態度としての)「即興」ならではのものなのではないかしら、ということ。その結果でてくるものの「表現」としての良し悪しとは別の次元で、ちょっと面白いものがある。もちろん単純な意味でのプロセス重視、作者・演奏者の主観重視みたいなことではなくて、「追い詰められて」偶然にやったことがそれにも関わらず、ある必然性の感覚を伴って受容者に経験されることがある、のはいったいどういうことなのだろうか。12月20日のイベントに限らず、しょっちゅう私は追い詰められていて、去年の1月の吉村さん企画の集団即興のときもそうだし(http://d.hatena.ne.jp/k11/20080203)、去年の2月の銀座のギャラリーでのパフォーマンスもそうだし(http://d.hatena.ne.jp/k11/20080312)、FTARRI FESTIVAL京都でもそうだし(http://d.hatena.ne.jp/k11/20080604)、とにかくしょっちゅう追い詰められている気がする。理由はかんたんで、私にはコレ!という表現様式も機材もなにもないので、その都度ムリヤリ考え出している、というのがまずある。そしてもうひとつに、やることの形式だけ考えて内容は現場でなんとかなるやといつも思っているからで、言いかえれば「なに」をするかだけ決めて「どう」するかをあまり考えないからで、いつもやりはじめてから、「どう」したらいいのか、追い詰められる。そしてそれが良い方に転ぶこともあれば悪い方に転ぶこともある。そして、その転ぶ方向の見極めが、「なに」をするか決める時点でできるのではなかろうかとちょっと思ってきた。あと、ちょっとこだわっていることというか自分ルールみたいなものだけれど、「追い詰められる」のは「自分」でないといけないと思っていて、なんだろう、自分を生贄にするというか火事場のクソ力みたいなものなんだろうか。12月20日のイベントを終えて思ったのは、私は自分が思っている以上に「即興」的というか、わりと追い詰められるのは楽しい。昨日はFLOATの年越しパーティに行こうと思っているけどどう?という電話をみつ君にした1時間後くらいに家を出てケンタッキーを買っていこうと思ったら六甲道のケンタッキーは閉まっていた。阪神西九条に着いたのはたしか22時すぎくらいで、西九条の駅前のじいさんがやっているたこ焼き屋は外にテーブルとイスがあって飲み屋みたいになっていた。ファミマでおでんとポテトチップスのうすしおを買ってFLOATに着くと、1階にソファに松本渉さんがひとりで座っていて、よなさんとあかいさんは弁天町のドンキにアサダ君の誕生日プレゼントとかもろもろ買いに行ったらしく、私が来るかもしれないということで松本さんがお留守番。天才バカボンのCDが流れていた。CDは流れない。CDに入っている音声(データ)が再生されていた。昨日買った甘いワインを持ってきたのでふたりで少し飲んだりおでんを食べたりバーベキューセットの炭火でポテトチップスを焼いたり、松本さんの来年の予定について伺ったり、私がやったARCオーディオの「アートに興味のない人とアートについてはなしてみよう」のはなしをしたり、いろいろ。「アートに興味のない人とアートについてはなしてみよう」について、私がはなしを聞いた4人がそれぞれにそんなにアートにあまり興味がないのと同時に、ポッドキャストにも興味がないのがよかったのではないか、とのおはなし。たしかにそうかもしれない。誰からも聞きたいからアドレス教えてくれ、とか言われなかった。というか、私自身がそもそもポッドキャストを聞かない。というふざけたボイスコラム。そうこうしていると、入り口のまえに車が止まって、よなさんとじゃたにさんとあかいさんが降りてくる。いろいろ持っている。鯛の塩焼き(半額!)とか、テニスのラケットみたいなのとか、ケーキのスポンジとか、惣菜とか、いわしの缶詰とか。あかいさんが持ってきたMDからは60?70?年代のロックが流れている。けっこうでっかいモニタースピーカーふたつとベースアンプひとつで音を出している。わりあいいい音。音の良し悪しはぜんぜん分からんけど。2階のキッチンではじゃたにさんがホイップクリームをつくっている。よなさんは年越しそばの準備をしている。ホイップクリームのかき混ぜ係を交代して、右手と左手で泡立て器の柄を挟んでグルグル回しながら泡立てていると、みつ君がやってきたとの知らせ。1階に降りる。アサダ君もやってくる。この時点で23時20分くらいか。あかいさんのMDが故障したのでよなさんのコンピュータのituneに切り替えようとしたら誤って電源コードを抜いてしまい電源が落ちる。ボーンと起動するがログインできないため、2階のよなさんに訊いてみるも、なんだかよく分からないので、とりあえず無音。Sさんから持参のCD類を預かる際に長崎弁で依頼を受けたので佐賀弁で現状を説明し善処する旨伝える。Sさんは私に長崎弁で話し掛けるも無視される夢を見たらしく、図らずも夢を裏切ってしまう格好に。アサダ君がケーキを作っている2階に上がろうとしたので、あかいさんが迫真の演技で食い止める。「お客さんやから(下で寛いでいてくれ、の意)」。24時が近づいてきて、ということは近所のUSJの花火も近づいてきたということでもあって、みんなでそばと酒を持ち屋上へ。花火が上がるなか、箸がない!と1階に取りに行ったら、すでにあった。そばを食べつつ花火を見たりしているあいだ、よなさんとじゃたにさんとあかいさんはそっと1階に降りる。ケーキのセッティングなどサプライズの準備をしている。準備ができたところであかいさんが屋上にやってきて、自然に1階へみんな(とアサダ君)を促す。その際、これまた自然にアサダ君がいちばん最後に来るように仕向ける。屋上から階段で降りるときに、「アサダ君、閉めなあかんからいちばん最後に降りてきて」。最初に扉を開けたのもアサダ君なので、本人もなんとなくそんな気になったようで、私たちも同じ。私たちみんながクラッカーを持ち待っている1階へアサダ君がやってくると、あさいさんの「アサダ君誕生日おめでとう!」を合図にみんなでクラッカーを飛ばす。クラッカーを「飛ばす」でいいのだろうか。ヒモを引いたらバン!という音とともに紙の飾りみたいなのが飛び出す。アサダ君をめがけて。まっくら、といっても外の街灯の光は入ってくるが、電気を消した1階でケーキの蝋燭を吹き消す。スピーカーに繋がっているミキサーに繋がっているコンピュータにログインしながら、よなさんが誕生日にちなんだ曲ないかなと言っていて、youtubeで探して再生したら?と提案してみるも、そのコンピュータはネットに繋がっていない。無線じゃない。なので、私が持っていたキリンジ「7」に入っている「今日も誰かの誕生日」をかけると、みつ君に受けた。ようにみえた。歌詞はけっこう誕生日誕生日しているのにあまり気付かれず、最後のあたりでやっと気付かれる。めっちゃハッピーバースデイいうてるやん、とはよなさんの弁。アサダ君に誕生日プレゼントの贈呈。でっかいテニスボールもどきとそれを打ち合う用ラケットふたつのセット、と低反発まくらみたいなの、とか。やったかな。他にもあったような気がする。そのあとの「タンデム・ラナウェイ」をイントロの途中で飛ばして、「君のことだよ」をかけて、それが終わったところでSさん持参の「ふいご」をかける。ケーキを食べて、バーベキューセットの炭火で温められた鯛の塩焼き(半額!)を食べたり。でっかいテニスボールもどきとそれを打ち合う用ラケットを使おうぜ!というときに、Cobblestone Jazz「Dump Truck」をかけたらエアロビみたいと言ってビートに合わせてアサダ君とあかいさんがラケットを振る。Cobblestone Jazzはおむね好評。「Dump Truck」、「India In Me」のあとにSさんが持ってきていたslipped disk「ATAK001」の2曲目から7曲目、9曲目をかける。そのあとアサダ君のipodからヒップホップが流れる。その後、ペンギンカフェオーケストラ。はじめて聴いたけど、なんだかジブリっぽい。小トトロが野原をかけまわる。おっ、みつ君たちが帰ったあと、かけた□□□「TONIGHT」のあとにかけたAkufen「Deck The House」を気に入ったアサダ君に8年前と思えないよねと言ってしまったけれど、どうやら6年前だ。Akufenを聞きながら女優というか女性タレントというかそういう人たちの有望株は?みたいなはなしで、アサダ君によると多部未華子さんが唯一将来性がある、みたいなはなし。そうこうしていると、大橋のぞみちゃんの動いている姿をyoutubeで見ることになり、よなさんのメインのラップトップコンピュータをプロジェクターに繋ぎ、始球式の映像とかをスクリーンに投影する。そしてそうこうしているうちに、よなさんのメインのラップトップコンピュータの音声もスピーカーに繋ぎ、perfumeチョコレイト・ディスコ」とか「マカロニ」とか「オッサンがパフュームを踊ってみた」やつとか。アサダ君はかしゆか派とのこと。しばし、それぞれの知っている面白いPVをみる。アサダ君おすすめの岡村靖幸「だいすき」はすごかった。同じくアサダ君おすすめの吉幾三とかカプセルとかビースティボーイズとかを合体させた(マッシュアップっていうんだっけ??)曲とPVがちょっとすごかった。そうこうしているうちに初詣に行くことになり、九条の方になんか(神社)あるよとのこと。よなさんのコンピュータのituneに入っていたマイルスデイビスのなんかの曲を適当にかけたらものすごくダウナーな曲で、アブストラクトなシンセだかなんだかとトランペットが響くなか、紙コップとかもろもろ片付ける。FLOATを出ると、あさいさんはバイクで走り去り、九条に向けて歩き出すと(アサダ君はチャリ)、10mくらいさきに、寝巻きのおばあちゃんが歩いてきているのが見える。すこし歩いて、中腰と座り込むのとのあいだくらいの姿勢。アサダ君と、ひょっとしたら徘徊してはるっぽいね、というはなしをしつつ、じゃたにさんがこんばんは、おばあちゃん寒くない?と声をかけると、寒いよ、とのお答え。寝巻きにつっかけみたいな格好だからそりゃ寒かろう。おばあちゃんは立ち上がって、西に向かう。どこに行くの?と問うと、娘を迎えに・・・とか娘がこっちに・・・、という感じでいまひとつ要領をえない。なので、とりあえずFLOATから毛布を持ってきて、肩にかけてあげるが、これ袖が通らんな、、と袖を通したい様子。いくら毛布だよ、と言っても服だと思っていてその袖を通そうとするその様子がうちのばあちゃんとかなり似ているので、認知症のおばあちゃんだなあと思い、なんとか「袖が通った」ことにしようとしてみるものの無理なので、機転を利かせたアサダ君が自分の着ているフリースのジャケットを着せてあげる。なので毛布はアサダ君に。名前も住所もなにも分からないので、とりあえずおばあちゃんが来た方向に、道を東に行ってみる。そんなに遠くないだろう、ということで歩いていたら思い出すかも、という希望を持ちアサダ君と私に抱えられるようにしておばあちゃんは歩き出したものの、安治川トンネルのあたりでちょっと足が痛いから休憩したい、とのことなので、歩道と車道の段差のところに座って休憩。おうちはどこ?と訊いたらここから二駅分くらい行ったところの地名をおばあちゃんが答えたので私たちはびっくりして、電話番号を訊いてみたら、はっきり答えられたので、アサダ君がかけてみるものの、誰も出ない。だったか、かからない、だったか。とりあえず、さっぱりどうにも分からないので、近くの交番(商店街を抜けた地下鉄の九条駅のところ)にアサダ君が行くことに。私たちは歩道と車道の段差のところにおばあちゃんと座って、パトカーが来るのを待つ。あいだに、じゃたにさんがお名前を訊いてみるとはっきり答えられたし、パニックになっている様子もなく落ち着いている。受け答えはちょっと要領をえないところもあるけれど、別にまったくコミュニケーションできないわけではない。というか、認知症といえどもまったくコミュニケーションできないわけではないのは、うちのばあちゃんとのやりとりでよく分かっている。おばあちゃんがどういう意図で言っているのかをおばあちゃんの立場で考えてみると、まあなんとなく分かる。しばらく待っているとアサダ君が帰ってきて、交番に行ったけど無人で110番にかけてみたところ、初詣やらなんやらの警備やらなんやらで出払っているらしく、すぐ行けない、対応を考えて折り返し連絡する、と言われたらしい。しょうがないので、よなさんの車を持ってきて、エアコンをいれた車内に座っていてもらう。いったんFLOATに戻った方がいいかもなあと思っていたら、さっき教えてくれた電話番号と名前と地名を元に公衆電話の電話帳で住所を調べてみるべくアサダ君がチャリですぐ近くの公衆電話へ。車に乗ったおばあちゃんと私たちもとりあえずその地名のところまで行ってみることにして、ひょっとしたらということで詳しい住所をいちおう訊いてみたところ、番地まで詳しく答えてくれたので、じゃあその住所に行ってみようということでアサダ君を公衆電話のところでピックアップ。していると、車のよこの歩道をおまわりさんがチャリで通り過ぎる。んん、警察おるよ、ということで、私が車を降りて信号待ちの警察のおじさんに、すいません、おばあちゃんの件ですか?と訊いてみると、そうで、とりあえず対応するべくやってきたらしい。住所分かったので、僕らで送りますよ、と言うと、んん、そうか、ほな頼むよ、という感じで、いちおう私の苗字と電話番号を控える。ひょっとしたら住所が間違っている可能性もあるので、というと、そのときはそのあたりの管轄の警察に連絡してくれ、とのこと。というわけで、出発。で、おばあちゃんの住んでいるらしき地域には辿り着いたものの、そして見覚えはあるみたいだけれども、わりと下町というか細い道や一方通行らしき道ばっかりで、なかなかお目当ての番地に辿りつけない。地図を見ながらグルグルグルグルその周辺を回ってようやく車で入れるいちばん近いあたりまで辿り着いて、私がまず車を降り地図で確認した方向に向かう。よなさんはもう少し近づけるべく車を移動させている。しばらく家の外壁についている番地の札を見ながら西へ行くと、お目当ての番地に着いて、表札におばあちゃんの名前もある。電気も点いているのでたぶん誰かいるだろう。発見した旨、よなさんの携帯に連絡。で、道を戻っていると横道からいきなりよなさんが現れて、ちょっと行ったところに車が停めてあり、松本さんは別の方に探しにいったみたい。連絡しようとしたが、携帯を持たない主義。なので、とりあえず、松本さんを除く私たちとおばあちゃんでおうちに向かう。よなさんの(というかよなさんの友達の)車はバンのかたちの軽自動車でうしろの座席からちょっと降りにくくて、地面までの高さがけっこうあるので、おばあちゃんは私に支えられながらぎゅーと足を伸ばして降りながら、わしは足が長いからな、と言っている。降りきってから、足が短いって言われるまえに言っといたらええんや、とのこと。またアサダ君と私に抱えられるようにしてトコトコとおうちへ。腰は曲がっているけれど、かなり足腰はしっかりしている。でもちょっとひざが痛いとも言っていた。おうちに着きピンポンを鳴らしているあいだに、そのおうちの玄関のとなりの玄関をガラッと開けはいっていく。玄関がふたつあるけれど、ひとつのおうちみたいで(二世帯住宅?たしかに表札には苗字の違う名前がふたつあった)、奥からレザーのブルゾンを着て手袋をしたままの娘さんらしき人が出てくる。かなり似ているので娘さんだろう。そしておばあちゃんの名前と一緒に表札に書いてあった人はこの人の旦那さんなのだろう。おばあちゃんはひょうひょうとした感じで再会を喜んでいるが、娘さんはさっき警察に届けを出して帰ってきたところとのことで、みんなに迷惑かけたらいかんよ!と言っているがおばあちゃんはあまり気にせず娘さんに甘えるように抱きついている。なんかいろいろ借りて、、と娘さんはおばあちゃんの着ているアサダ君のフリースのジャケットを脱がせて肩にかけている毛布と一緒に返してくれる。ひとしきり再会を祝い、おいとまする。帰ろうとするとおばあちゃんは、大丈夫か?(帰り道は)分かるか?と言っているので、大丈夫大丈夫、おばあちゃんも元気で、とお別れ。これがたぶん6時半くらい。おばあちゃんを発見したのが5時くらいか。おばあちゃんの不在に娘さんが気付いたのが4時くらい。線路越しに京セラドームのごく一部が見える。さっきおうちを見つけて戻るときに山の稜線かと思ったのは、京セラドームだった。というわけで、私たち5人は初詣をするべく、神社を探して車を走らせる。あのへんにでっかい神社あったで、というアサダ君情報に従いその「あのへん」に行ってみると、たしかに神社らしきものはあるけれども、塀にかけられた布に丸に「金」の文字。金って書いてあるけど、、と言っていたら金光教だった。なんだか分からないけれども、グルグルそのへんを回っているあいだに、螺旋状の道路に入ってグルグルグルグル回る。横Gがすごい。と思っていたら大きな橋で、橋に真ん中あたりで止まって風景を眺めてみる。ものすごく寒い。アサダ君がビデオ(DV?)カメラを回している。IKEAも見える。ひとしきり風景を堪能したあと、また車で走り出す。適当にブラブラしているわけではなく、どこかに向かっているような感じだけれども、どこに向かっているのかは分からないし、わりとそんなことはどうでもよくて、よなさんにどこに向かっているのか訊くということ自体思いつかなかった、なぜだか。どこかに向かっているような感じはしつつも、道を間違えたりグルグル回ったりしながら、住吉大社へ。近くの路地に路駐し、参拝。ドンキで売っているガチャピンのパジャマを着ている男性がいる。すれ違うときに顔を見たが、私と同じくらいの年齢にみえた。お賽銭の10円を投げて、お祈り。拍手を打つのを忘れたのをいま思い出した。まあいいか。じゃたにさん、よなさんは普通のおみくじ。アサダ君はみんなが普通のなので恋みくじ。松本さんはみんなが引くので普通のおみくじ。私は引かない。所持金があと230円くらいだったので。引いてもよかったけど。帰りの電車賃は借りればよい。と思っていたら、行きに通ったときは閉まっていたりそなのATMが帰りには開いていたので、おろす。住吉大社におもしろイベントがある、でももう終わっているけど、とよなさん。聞くと、ある漢字3文字(なんやったか忘れた)を一文字づつ石に書いて、神社内の所定の場所の付近にばら撒き、それを探して見つけられると、ラッキー!みたいなイベントらしく、その所定の場所に行ってみると、「1月5日まで中止」という張り紙がしてあり、「中止」という文字のよこに「おやすみ」とふりがながふってある。「おやすみ」なら「休止」だろうよ。参道には屋台がたくさん出ている。ベビーカステラが20個500円、40個1000円。アホか!とアサダ君と私。「韓国王宮糸菓子」と書いてある謎の屋台があったけど、閉店。夜中には開いていたのだろう。トイレに行くと、仕事を終えた屋台のおっさんらしきおっさんふたりが鏡の前ではみがきしながら話し込んでいるため、手を洗いづらい。神社を出るべく、5人で歩いていたはずなのだけれど、よなさんとじゃたにさんがいない。しょうがないので、神社を出たところのへんでアサダ君、松本さんと待つ。ホストクラブの人たちらしき男性群がそれぞれタクシーに乗り込んで帰っていく。民主党の誰だかが、神社の入り口のよこのへんで、おめでとうございますー、と言っている。車を停める場所を探してうろうろしているとき、民主党の旗を背中だか自転車のサドルのうしろだかに指して走っているひとがふたりほどいた。戦(いくさ)を彷彿とさせる。そのよこには托鉢の坊さん。シャンシャンシャンシャンとあの杖みたいなやつを鳴らしている。まえに夕方のニュース番組で見たけど、托鉢坊主の偽物がいるらしい。何人かでバンみたいなのに乗り合わせてやってきて、コインパーキングに停めた車の中で袈裟とかに着替え、それぞれの持ち場に散っていく。というはなしを車を停めるべく神社のあたりをうろうろしているときにした。そうこうしているうちに、ホストクラブの人たちらしき男性群はみんないなくなり、よなさんはイカ焼とフライドポテト、じゃたにさんはベビーカステラを持って現れる。フライドポテトめっちゃ冷たい、、とのこと。帰りは天王寺で降ろしてもらって、JR環状線外回りで大阪まで行き、阪急電車にて西宮北口まで。約束の時間まで30分くらいあるので、アクタにスタバがあったのを思い出して行ってみると2日からは9時、1日は10時開店。10時は約束の時間なので、諦める。反対側、つまり、阪急西宮ガーデンズの方のロータリーが待ち合わせ場所なので、そこのフレッズカフェが開いてたらなと思ったが閉まっていた。仕方がないので、コンビニ、たしかサンクス、でラーメン本を見て時間をつぶす。六甲道の塩ラーメン屋さんが載っている。今度行ってみよう。さっきスタバに行きそびれたので、コンビニで買えるプラカップのスタバのコーヒーとチョコラBBだかエスカップだか栄養ドリンクと歯磨きしてないのを思い出して、フリスク。徹夜で眠いし。電車でも寝たような寝てないような感じだったし。サンクスを出ると。5分前にも関わらず叔父さんの車がロータリーに停まっているのが見える。ナビ兼テレビを見ている様子。ささっと栄養ドリンクを一気飲みし、ビンをビン捨てに入れる。これから佐賀から9時20分の飛行機に乗った母ちゃんを迎えに行く。叔父さんは母ちゃんの弟にあたる。伊丹空港までの道中、ユニクロに行ってもいいか、ヒートテックの靴下を買うんや、このまえ食った1人1万8000円のすき焼きの肉は美味かった、でも貧乏性やからあんまり食えんかった、と叔父さん。テレビ番組で芸人がすき焼きを食べていたから。母ちゃんは10時40分くらいに出てきたのか。正確な時刻はトイレに行っていたので分からない。母ちゃんと叔父さんと私の3人で車に乗り込み、西宮へ帰る。ばあちゃんはおうちで待っている。気分が乗らないと外出しないので、おうちで待ってもらうことにした、とのこと。途中、和菓子屋に寄って母ちゃんは自分が勤める花屋のおばちゃんにお菓子を送る。途中、ユニクロに寄るも、閉まっている。なので、コーナンと合体している今津のユニクロへ。大きいから開いているはず。今津のユニクロは開いていて、ヒートテックのももひきというかぱっちというかそう呼ばれるものと、長袖というか9分袖のシャツを買ってもらう。母ちゃんに。買ってあげるって言うからカゴに入れたのにレジに行く段になると、あんたのこれも私が買うの?とか言い出すのでややこしい。今津のマルハチでみそとか鯛の塩焼き(半額!)とか牛乳とかジャムとかあさいさんおすすめのユースキンのハンドクリームとか。ばあちゃんのおうちに着くと、ばあちゃんはソファに座ってテレビを見ていた。みそのお雑煮とハムとレタスのサラダと叔父さんが漬けたカズノコともろもろを食う。テレビでは駅伝中継をやっていて、特に面白くもないので叔父さんがいないあいだにチャンネルを変えたら、私がいないあいだにいつのまにかまた戻っていた。15時くらいから18時くらいまで前半はソファで、後半は仏間で毛布にもたれつつ寝ていたら、いつのまにか姉ちゃんが来ていた。夜は阪神百貨店で買ったという2万8000円のおせちととりがらスープのお雑煮と鯛とはまちの刺身とコーヒーやらなんやら。にぎやかなのでばあちゃんも楽しそうだ。21時半くらいに叔父さんがタクシー会社に電話してくれるものの繋がらないらしく、21時50分のバスに乗り西宮北口へ。眠い。うとうとしていたら六甲。そしてコーヒーをいれたりメールチェックしたりぐっさんのオンライン年賀状を見たりこの文章を書いたりもろもろしていたら、いつのまにか、1月2日の6時32分に。ああ、しんどい。いま33分に。でもまだ寝ていないので私のなかではいまは1月1日。なので1月1日扱いで日記をアップする。明日も夕方からばあちゃんちに行く。自分の身におこったこととかではない、自分の思うこと、をブログという形式で書くときに、起こりがちなのは、愚痴っぽくなるか、説教っぽくなるか、のふたつで、これはひょっとしたらば、人間が「自分の思うこと」を考える場合、「自分はそうは思わないこと」によって考えているから、というのがあるのか、ないのか。あると思います、なのか。ないと思います、なのか。