去年の冬に山崎さんからもらった、現代思想1999年9月号「特集 感覚の論理」のなかに入っているエリアーヌ・エスクーバス「芸術作品の問題 メルロ=ポンティハイデガー」を読んでいたら居眠りしかけたので仕方なく筆をとる。BGM(なんの?日記を書くことの?生活の?)はyoutubeで音だけ聴いている、perfume「マカロニ」。ちなみに山崎さんとは山崎伸也さん、お元気でしょうか。と書いているうちにBGMは一三十三一「時よ」。いつかここで書いたけどたぶん誰かのカバー。昨日、一昨日でスタバのスターバックスラテのホットをトールで、を3回言った。あの木のマドラーで砂糖じゃない砂糖を3回かきまぜた。あさの6時くらいに、と思ったら、8:40に来ていた平間君からの携帯メール

ども、今大阪にいます、齋藤君の所行って2時過ぎ位にコンポジション見に本町行く予定です。携帯の電池なくなりそう。

昨日はよなさんとこに行って齋藤君のところ行くべく、よなさんは商店街のシャッターに描かれた絵をこのまえ見たらしく、(そこに)行けば分かるさ!ということで出発。して、そこにたどり着いたが、そこに齋藤君が参加しているプロジェクトの情報は一切なかった。シャッターに描かれた絵以外なにも。結論からいうと、散々迷ったあげくインフォメーションセンターに辿り着いたときには17時半過ぎでもう閉まっていた。というわけで、適当に商店街を歩いていると、商店街の通路の真ん中におかれたインフォメーションボードというか、チラシ置き場みたいなのに、そのプロジェクトのチラシを発見。したが、いまどこかがそもそも分からない。そして、チラシを発見して地図が載っているにも関わらずいま通ってきた商店街でなければ、別のこっちっぽいという理由を理由に歩き出し、なんかなさそうなので、よなさんが住吉神社やったかそういう名前の神社あたりで、戦闘に、ではなく、銭湯に行く途中っぽいじいさんに訊くが第一声が分からん!とのことで、梅香一丁目はあっちの方とのことで、指差された方向に行くと遠くに電車が走るのが見える。たぶん阪神電車だから、そうなると突き当たって左か右かだ。と思いきや、JRだったので、チラシ掲載の地図からはもうすでにはみでている。なので、JRを背に逆方向に向かう、つまり、来た道を戻る。ああ、そうだ、来る道で遠藤一郎さんの「未来へ号」がとあるマンションの駐車場に停まっているのを見た。で、駐車場に不法侵入し、その車体に書かれた文字などをほうほうと見ていると、「せいようをつぶす」とふにゃふにゃの幼い字で書かれていた。けれども、幼い子が書いたものではないのかもしれないし、せいよう=西洋、ではないのかもしれない。来た道を戻っていくと、ぐうぜんここが此花住吉商店街と千鳥橋商店街の筋の交差するところにあることに気付き、その気付きをもとに現在地を割り出し、じゃあ目指すインフォメーションセンターはだいたいこっちの方向という方向へ歩き出す。いま思い出したが、四貫島中央商店街ではクリームの回転焼を食べた。そういえば、回転焼ってべつに回転してない。そうこうして、帰りに帰りがけにライフで伊藤園の紅茶を買う。レジの女子高生にメンバーカード持ってますか!?と訊かれる。この一連の道中のなかで猫を10匹は見た。そうして18時くらい、安治川トンネル北エレベーターに乗るまえに、今日は彼女のおうちに行くのかという問いに今日は帰るとの答え。で、安治川トンネル南エレベーターを出たときに、よなさんが腹減ったとのことで、だから問うたようで、彼女は20時くらいに仕事が終わりそうらしいがそれも予測に過ぎないので、食べといてくれ、ということなので、食べるべく、キララ九条を通り、珈琲教室、珈琲、カレー、と看板に書いてある喫茶店で、お飲み物?カレー?ビーフは普通の、インドは辛いよ、と店主のおばちゃん。なので私はインドの普通の、よなさんはインドの大盛。でも店主のおばちゃん曰く、大盛かなり多いよ、普通ので普通のお店の大盛だよ、と脅すので、よなさんもインドの普通の。まあまあカレーはふつうだ。インドといってもいわゆるインドカレーじゃなくて、欧風カレーと家カレーの中間みたいなビーフカレーの辛口をインドカレーと呼ぶ、ここでは。おばちゃんと定額給付金と天気の話題、になったのはテレビのせい。電話が鳴っておばちゃんは電話をとるが、なにやら鬱陶しそうな応対。知っててかけてはるの?はいはい、とかいう感じの応対なので、なにかのセールスの電話かと思いきや、違ってて、インターネットに載ってるから電話かけてきはるのよ、知ってるのにかけてきはるのよ。(インターネットに)うちは載せてへんよ。そういうのが好きな人が載せるらしく、カレーとかラーメンとかのB級グルメを紹介する個人のブログとかサイトに載っているような様子。ああ、いま思い出した、キララ九条の北側入り口あたりに元駄菓子屋みたいなところがあって、ガチャガチャ4台と「ピンクパンサー」やったかそういう名前のパチンコみたいなゲームが置いてあって、それのお金を入れるところのあたりに、「10円入れて、ヒモをひくと玉が出ます」みたいな張り紙がしてあって、「ピンクパンサー」やったかそういう名前のゲーム機じたいはものすごくぼろいが、張り紙は新しいので、ちょっと先に歩いて行っていたよなさんを呼び、まだ生きてるっぽいよ、と言うと、よなさんはおもむろに財布から10円を取り出し機械に投入した。カチャンと10円が落ちる音がして、それ以外になんの動きもなく、玉も出ず、レバー(玉を弾くもの?)を動かしても何の音沙汰もない。そもそもひっぱるべきヒモがない。よなさんちへ帰り着き、次のイベントでのやることを話したりしていたらタイムリミットが来て、大阪へ。地下を歩いて毎日ビルやったかそういう名前のビルのところにある、だいぶ前に、空いているから穴場だとぐっさんに教えてもらったスタバで彼女はバナナケーキとハムとかタマネギとか入っているホットサンドとカフェモカのショートと私のスターバックスラテのホットをトールで。それが「スターバックスラテのホットをトールで」その3で、その1は本町のシェ・ドゥーブルに向かうまえに平間君と行ったスタバでの「スターバックスラテのホットをトールで」、お持ち帰りで。その2は、平間君の夜行バス待ちをするためにいった丸ビルのスタバでの「スターバックスラテのホットをトールで」。平間君のいう「神秘(的なもの・思考)」と私が思う「否定神学(的な思考)」(いま読んでいる東浩紀存在論的 郵便的」で出てきた)はほとんど同じっぽい。平間君は「音楽の、妄想というか、しがらみというか、躓き」を自分が躓いているからこそ積極的に相手にするけれど、私はあんまり相手にする気になれない、というより「音楽の、妄想というか、しがらみというか、躓き」を音楽以外でも使えるようにする方法が分からない。美術がどうなのか分からないけれど、音楽にはRe-TATTAKAさん言うところの「党派性」はあって、といってもどこにでも党派的思考はあるような気もする。美術とか音楽とか関係なく。前の会社にも会長派、社長派、というのがあったらしいし。いや、そういう「派」じゃないのか。でも確かに音楽に関わる人は大なり小なりロマンチストだけれど、だから私と平間君にもそういうところはあるだろうけれど、どっちかというと、リアリストというのは言い過ぎで、たんに「意地悪」なのだ、ということで、意見の一致をみる。どうでもいいけど、この日付の日記の冒頭で「一三十三一」と書いていて、書いている途中にも、ヒト、ミ、ト、ミ、イ??と一瞬思ったが、すぐにその気付きを抑圧して、次に進んだのだけれど、いまあらためて気付いたので、調べてみたらやっぱり違ってて「一十三十一」だった。昨日で読み終わったのは、木田元ハイデガー存在と時間』の構築」と、竹田青嗣プラトン入門」。いま読んでいる、東浩紀存在論的、郵便的ジャック・デリダについて」と「ハイデガー存在と時間』の構築」はハイデガーで繋がるし、「ハイデガー存在と時間』の構築」と「プラトン入門」はプラトンアリストテレス(から始まる形而上学)で繋がる。意図したわけではないけど、こういうふうにそれぞれの読書が多面的に関わりあって、理解が深まるとか、書いてあることが混じり合って、この3冊のなかのどれかで読んだことだけどどれで読んだか思い出せない、ってなったりして面白い。竹田青嗣プラトン入門」より。概念の実体化の罠。

 ゼノン的パラドクスは、一方で、言語を何とでも使用するという相対主義に振れ、そこから必ず詭弁論的戯れを生み落とす。もう一方でそれは、言語それ自身への不信から言語による世界の表現不可能説へ流れ、さらにそれは、真理は決して言葉で表現されえないという「真理不可言説」を生み出すのである。
 しかしヘーゲルがはっきり洞察していたように、「真理」とは、ものごとの何であるかを言語によって表現していくという経験のプロセスとしてはじめて現れうるものだ。つまり、「真理は決して言葉で表現されえない」やその逆に「言葉でいわれたものは真理ではありえない」という考え方は、まず例外なく「真理」という概念の素朴な”実体化”に由来するのである。