成人式の時にお祝いにと姉ちゃんに買ってもらったコーデュロイのスーツに高校の時にパンクに憧れて頑張ってお金を貯めて買ったラバーソールを合わせないといけないのか。。スーツそれ自体はぜんぜんそうじゃないけど、ラバーソールを履いちゃうと黒夢みたいになるよ。厳密には清春さんか。黒夢は聴いたことない。なぜかというと、なぜラバーソールを履かないといけない可能性がでてきたかというと、といっても絶対履かないけど、スーツと合わせて成人式の時に買った、というか、これは父ちゃんに買ってもらったリーガルの革靴がどっか行ったからで、私が唯一持っているフォーマルな靴である。その革靴を探して押し入れと化した妹の部屋の横の1畳半くらいの部屋をごそごそやっているときにラバーソールを見つけた。売るか。ジョージコックス。売れないか。それにしてもどこに行ったのか。革靴は。たぶん実家というか生まれ育った家にあると思って父ちゃんに探してもらったけどなく、父ちゃんが母ちゃんに聞いたら、持って帰っとんしゃっ、と一言で済んだらしく、どこにもない。一昨年のけいすけの誕生日と結婚式が同時にやってきた日に履いて、そのあとどうしたか。新幹線で持って帰ってきたような気もするが、それは行きのことかもしれない。もし帰りの新幹線で持って帰ってきているなら、新幹線に忘れてきたことを今ごろ思い出すということになるのか。台所のある部屋にもないし私の部屋にもないし靴箱にもないし。「東浩紀」さんの名前を出すとやたら人が来る、ここにも。「Perfume」でもけっこう来る気がする。ブログに書くと人が来るワードの1位はなんだろう。いま旬の芸能人か。やっぱり。誰だ。ヤフーの人名検索ランキングを見てみる。現時点(10/22 23:52)での1位は「佐藤健」。??誰?なんか光GENJIっぽいな。いや、違った。天板に四角い、といっても歪な、穴が空いていて、その天板と側面の1枚を除くすべての面があらかじめ白い、といっても底面は見てないけれど、箱を白く塗る。そういえば、私が理論を追いかけているのは、理論というほどじゃないけどという断りをまず入れておいて、創作のためじゃないな、、たぶん。はっきり言って、マルクスの「資本論」や奥野正寛「ミクロ経済学入門」を読んだところで、なんの足しにもならないわけじゃないけど、創作の足しにはならなそう。ボードリヤールだって同じ。というのはちょっと違っていて、直接に創作の足しにはならないけど、間接に、「創作」を含む「なんか」の足しにはなるかな、とは思っていて、というかこっちの方がおそらくはライフワークになる予感。「つくる」欲望や欲求はもうあまりない。保坂和志「この人の閾」の真紀さんのようにただなんの目的もなく読み続ける。というのはさすがに無理だとしても、目指す気もないけど、とはいえ「つくること」から「(ことばをつかって)かたること」に完全移行したいとも思わない。そういう選択肢を思い浮かべはするけど、といっても、物書きになる!物書きになりたい!物書きになるには!物書きになる近道!物書きじゃなくても、批評家になる!批評家になりたい!批評家になるには!批評家にしてください!とかいうことでもなく、人間がことばを使ってものを考えるのは当たり前のような。たんじゅんに。それにしても創作のためとはいえ、というか、創作のためとは思えないほど、kugyoさんの理論の追い方はすさまじいな。理論が専門なのかと思っていました。11月1日に安治川倉庫FLOATで行われる「テレビをみる日」に出演、というのかなんなのか、します。→http://float.chochopin.net/event.php?day=20081101 よなさん、なんか紹介文のレイアウトが崩れとるよ。読めない文字が。私だけ?おっ、松本渉さんが。松本さんってアーティストなの?もっとなにかぼんやりしていて広い存在のような。おっ、よなさんだけ肩書ない。なら、私も肩書なしがいいな。次の日、11月2日には友達の結婚記念パーティ(?)でパフォーマンスの依頼。なにをしようか、いや、なにをしたらいいのか。妹のことば遊びノートの朗読でもするか。いや、これはいま思いついただけですが。昨日古本市場で、桜井亜美「イノセントワールド」っていうのをみつけて、ミスチルの「イノセントワールド」をかけながら、桜井亜美「イノセントワールド」を朗読する、とか思ったが、桜井亜美「イノセントワールド」をちらっと読んでみた限り、ミスチル桜井亜美さんとでもイノセントの意味合いが違う。それがいいのか?どうなのか?ん、「桜井」つながりもあるな。なにも思いつかんな。「イノセントワールド」の弾き語りとかじゃだめなのかしら。そして1番は観客に歌わせるのだ。「抱きしめたい」か「Mirror」か「Hero」か「いつでも微笑を」でもいいけど。という一文を追加することにより(「知っている」ことをアピールすることにより)、「この人、本気でミスチルのファンなのか?」と思わせることができるのでは、と思いつつも、割と本気でミスチルは好きだけれども、CDは持ってない。とかいいつつ、仮に弾き語ったとしてまあギターはいいとして、仮に、仮に、うたがものすごくうまかったなら、それはそれとして場違いではありつつも強引に感動の空気にできると思うけれど、そんなことは到底できない。perfumeの「love the world」をかけながら口パクで踊ります、っていって、仮に、仮に、踊りが完璧だったなら、それはそれとして場違いではありつつも強引に感動の空気にできると思うけれど、ならないか、受けるとはおもうけど、受けないか、そんなことは到底できない。でも、「すいません、ちょっと曲がかかっているあいだ目をつぶってください。では、perfumeの「love the world」をかけながら口パクで踊ります」っていって、適当にそれらしき音を出しつつガサゴソ動く、っていうのは、本気でやりたいとは思いつつも、やる機会がない。でも、誰役をするかがまず問題。のっちか。あーちゃんか。あと誰だったか。そもそもあーちゃんで合ってるのか。かしゆかだ。思い出した。「それでは、こないだリリースした、えー、なんでもない曲です」