ひさしぶりに電車に乗ったら、電車の速度が速いというか窓の外の風景が流れ去るのが速い。アサダ君と本題とは関係ないようなあるようなたぶんないことを本題の4倍くらい話す。「パフォーマンス」という形式というか様式を、「選んで」やっているかどうかを訊かれる。それはあまり意識していなかったけれど、たぶん能動的に選んではいなくて、私の場合、「演奏」の延長として「行為」があるわけで、ほいでその「行為」の際に音楽のロジックは使っていない。見えにくいところで言えばないとも言えないけど、見えにくいのでないと言ってもいいと思う。「行為」を音楽のロジックでやれば「演奏」になるわけで、そういう意味では私の「行為」は音楽ではない。どこかしら音楽的であったとしても音楽が目的ではない、少なくとも。逆に録音物の場合は、どうしても音楽のロジックを使わざるをえないわけで、それが面白かったりもする。築港ARCの最寄り駅、地下鉄中央線大阪港駅の前の朝潮橋でたくさんの人が降りて、隣に座っていた30代後半か40代前半のお母さん、8歳くらいの娘、息子(らしき人物がいたと思うけどちゃんと見てない。小さかったと思う)、の3人組も朝潮橋で降りていって、降りるときに8歳くらいの娘さんが、レディオヘッドレディオヘッド、と言っていて、レディオヘッドのライブか!?と思って、後ろを振り返り窓の外を見てみると、MOGWAIとかのTシャツを着た人たちが出口へ向かって歩いていて、そういえば電車で向かいに座っていたカップルの男性もBATTLESのTシャツを着ていた。アサダ君は自分には「パフォーマンス」が合っているな、と再確認したらしい。私といえば、どうだろう。合っているかどうかは別にして、やりやすくはあって、「とりあえずやります!」というのが成り立つからというのもあるけれど、まあやっぱり良くも悪くもブツ(物)としての作品が目の前にあるのと、生身の人間が目の前にいるのとでは、ぜんぜん違う。で、音楽家がライブをするときは、ブツ(モノ化したコト)としての作品であり生身の人間であるわけだけれど、私の場合、私は生身の人間でしかなくて私は私の作品ではない。もろもろ終えて帰りに梅田の紀伊国屋に寄ったら、木村敏臨床哲学の知―臨床としての精神病理学のために」という語りおろしの本が出ていた。稲葉 振一郎「「資本」論―取引する身体/取引される身体」は「Ⅳ 「人的資本」論」に入っていて、保坂和志「小説、世界の奏でる音楽」は「2 緩さによる自我への距離」を読み終わって、ミハイル・バフチン「言語と文化の記号論」は「第1部 記号の哲学の諸問題」「第1章 イデオロギー・記号・意識・言葉」を読み終わって、記号の物象性と外在性、内的発話のはなしが面白いが、いまの時点ではすこし触れただけというか紹介しただけっぽい。あとで詳しく述べているはず。ボードリヤール「物の体系」は「B 非機能的な体系または主観的言説」「Ⅰ 周辺の物 古い物」を読み終えるけれど、ここまで読んできて思うのは、ボードリヤール自身がここで書いていることについてどう思っているかが分かりにくい、というか、そういう判断を保留している、たぶん。ふつうは、文章を書いている当の本人がいま書きつつあることについて肯定的か否定的かが分かるようになっているものだけれど、そのへんがぼんやりしていて、かといって事実を記述しているふうでもない。あとアサダ君と話していて面白かったのが、考えていることはどうあれ最終的なアウトプットが、ジャンルやカテゴリとして知名度が低いと、それを見るひとに「これがなにか知らないけど、そういう表現があって、この人はそういう表現をしたいんだろう」というふうに思われてしまって、そこで全てが止まって何も進まない、ということで、これはものすごく注意していて、言い方がなかなか難しいのだけれど、見るひとにとって未知ではあるがその裏にそれが含まれるであろうジャンル・カテゴリを感じさせることは危険なのでなるべく避けるようにしている。「ああ、そんなのもあるんだね、そういうのがやりたいんだね。知らんから分からんけど」で終わるから。言い換えると、知名度の低い手段を使う場合、おうおうにして手段が目的のように思われてしまう、ということか。厳密にいえば、手段が目的の手段だと思われてしまう。でもどっちにしろこれは手段/目的という二分法の産物なので、あまり面白いことではなくて、手段を研磨すれば目的に達する、目的との距離が縮まる、なんてことは、たぶん、ない。目的なんて手段の外にしか設定できないものなので、手段が目的というより、手段から目的が生まれる、方に期待する。いや、どうだろう。少なくとも目的の実現のための手段、という思考法は支持しない。と同時に手段の実現のための目的、という思考法も支持しない。昨日だったか一昨日だったか書いたことに自分で突っ込みを入れようと思ったけど、なんとなく今は気力がないのでやめる。□□□「TONIGHT」は「死んでみた」のあとにラップがあって、テクノだかハウスだか分からんやつがあって、クラブジャズみたいなのがあって、いきなりフィッシュマンズみたいなのがあったりする。阪神百貨店の無印で、マフラー未満の首に巻くものということでストールとやらを物色してみたが、こんなに長いのどうやって巻くの、と思って、とりあえず買うのは保留して街行く人たちのストールの巻き方を観察。スタンドカラーのシャツが欲しいが、Mからしかなくてちょっとおっきいので残念だ。別にシャツが必要なわけではないけど。ちょくちょく古着屋とかでジャージを物色しているけれどいいのがない。ぜんぜんない。