6/7のもろもろに関する詳しい情報が米子っちのサイトにも。→http://www.chochopin.net/2008/05/20080607_pantaloon.html 米子っちによる私の紹介がよい感じ。逸口香みたいな存在になりたいです。逸口香もどんなものか説明しづらい。食べた方がだんぜん早いという。最近の主な活動は、読書と日記の更新です。そういえば半年くらい楽器、といってもエレキギターしかないけど、触ってないし、一昨年・去年とひたすら録音し続けた、コンピュータを外に持っていってカセットで録音してタダで無記名で配る、っていうのも、ibookが壊れてそのままほったらかしなのでやってないし、そういえば配布するのも忘れてた。まだ去年の分があるな。正直なところ、音楽というひとつのフィールドになんの思い入れもないけれど、そこ以外にどこがあるかといえば、たぶん、美術とかそういうことになると思うのだけれど、なんとなくそっちはやりにくそう、というか、いちいちややこしそうなので、行きたくない。音楽(ライブ)と美術(パフォーマンス)のあいだ、といっても、音の芸術(サウンドアート)と呼ぶのもおこがましいし恐れ多い。すきま産業。すべてのものごととものごとのあいだにはすきまがあって、ということはつまり、すべてのものを繋げることができるのがすきまなのだろうか。ディスイズサイコーにちょうどいいホンダ、というCMに出ている外国人に対して、誰やねん!と関西人でもないのについつい関西弁で思っていたら、ショーンレノンで、その車はFREEDというらしい。artictoc(http://artictoc.com/)が神戸大学理学部地球惑星科学科 郡司ペギオ幸夫研究室に置いてあるとのことなので、先日行ってみたけれど、びびって研究室までは入れなかった。。スリッパでペタペタ歩いている郡司ペギオ幸夫さんらしき人を見て、どうでもいいけれど、いろんな案内板の表記には「ペギオ」はなかった。そして、たったいま、なんとなく、新しい動きがあるかなーと思って、おおはた雄一さんのサイトを見てみたら、明日、というかもう今日だけれど、カバーアルバムが出るらしく、カバーかー・・・と思いつつ、とりあえず試聴してみてから考える。「1970年前後の洋邦の名曲を中心にセレクト、得意の弾き語りを中心にカヴァーした」とのこと。今日は、灘図書館にて、黒崎政男「カント『純粋理性批判』入門」の「悟性」に関わる部分を索引で調べて読む。感性によって得られた(現象の)質料を悟性が(形式により)意味付けて私たちに「現象」が現前する、ということかしら。感性と悟性を質料と形式と考えてもよいのかしら。物自体と現象の違いはなんとなく分かるけど。そして、□□□から南波一海さんが脱退していた。私は、質料が形式(形相)なしでは意味をなさない、という以上のこと、質料がその「過剰」により(私たちが質料に対して持っている)形式(形相)を変えていくことに賭けているっぽい。ここでいう「過剰」はたぶん質料それ自体に含まれ"うる"形式(形相)のことで、それによって、私たちが質料に投影している自らの形式(形相)が変わっていく、というような感じか。豆腐はみそ汁とか湯豆腐とか冷奴とかにして食べるものだけれど、ガチガチに凍らせたらそれで人を殺せるかもよ、という感じ?ガチガチに凍った豆腐はモノとしてはレンガに似ている。ママレイドラグはとくに動きはなし。田中拡邦さんによる日記はたまーに更新されているっぽい。私より1歳年上の田中さんは同じ佐賀出身で、サイトのバイオグラフィーによると、「1996年-----------地元・佐賀のライブハウス“ガイルス”を中心に精力的にライブ活動を行う。」とのことで、このライブハウス知っている、というか、高校のとき、一回友達同士でお金を出しあってライブをしたことがあって、高校のときはオアシスのカバーをやっていたので、シャンペンスパーノヴァとかやった、たしか。スカスカしててギャラクシー500みたいなシャンペンスパーノヴァだった、と大学になって初めてギャラクシー500を聞いて思った。いや、ギャラクシー500のベスト盤みたいなのを買ったのは大学受験のときだったかな。マイブラッディバレンタインの「ラブレス」とジム・オルークの「バッドタイミング」を受験のために訪れた神戸で買ったのは憶えてるけど。いや、買ったのはいまはなき心斎橋タワーだったかな。そして一十三十一さんは喉の手術をして療養中とのこと。そういえばアルミナムグループの新譜が出ていてちょっと前に試聴した。いまラジカセから流れているのは、トッド・ラングレンの「A DREAM GOES ON FOREVER」。