ピピピピピピピピピピピと鳴り続ける目覚まし時計が気になるが、止めたつもりでもなぜか止まってなくてを何回か繰り返し、しまいにはスイッチが壊れてるから止まらない、という夢を見たあとに、ちゃんと布団から出て止めたら止まったあとに、16時くらいに病院に着いて、とりあえず10階のナースステーションに行ってみて(病院からもらった入院のしおりに退院の書類をナースステーションでつくります、みたいなことがあったので)支払い等、1階の受付に行ってくださいという会話の途中で、顔見知りの看護師さんからはおお!と言われたので、会話をしながらその人へも会釈をし、そそくさとエレベーターの下ボタンを押してエレベーターを待つあいだ、エレベーターホールの大きな窓から見える外の景色を見るけれど、それがなんのためかというと、ここから阪急西宮北口駅の方向を確かめるためで、支払いを済ませて(退院支払いの方は4番窓口で直接名前をお伝えください、とのことで、名前を伝えたらすぐ支払いできて、意外にもすぐ済む)北東へ向かう。とりあえずJR西宮方面へ、ドンキホーテの前を通って向かい、JR西宮を左に見ながらとりあえず直進する。阪急今津線阪神国道駅のところで左に曲がるとなにやら工場に挟まれた道に入って、両側からなにやらガタゴトと音が聞こえる。どぶ川の上に木板を張って金網で囲んだ駐輪場があり、8台ほど自転車がある。道の終わりあたりにその工場の事務所があって、どうやらいろんなガラス瓶の工場のもよう。このあたり大きな空き地がいくつかある。空き地ではスズメがなにかを啄んでいる。スズメの2倍くらいの大きさの名前の分からない鳥もいる。横断歩道の信号が赤だったので青になるまでのあいだ、スズメとスズメの2倍くらいの大きさの名前の分からない鳥を見ていたら、信号が赤から青になりまた赤になっていたので、車が来ていないことを確認したうえで、けっきょく赤で渡る。ミドリ電化の前を通る道路の向かいの歩道を通ってその角の十字路で左折するときに、私がいた位置は十字路北西なのだけれど(阪急西宮北口駅方面を「北」とする限りにおいてだが)、そこからみた南側の、ミドリ電化の向かいに位置する小さい道とそれに連なるごちゃごちゃした小さいお店の感じに見覚えがあって、ひょっとしたらここは、震災前に母方のばあちゃんとおじさんが住んでいたうちに向かう道かもしれない。大きな道路から小さい道への入り口にある逆U型の車止めになにやら見覚えがある。西宮北口ジュンク堂で、ジャック・デリダ「フィシュ―アドルノ賞記念講演」の冒頭部分を立ち読みして、アドルノの「ベンヤミンの特徴を描く」という文章から引用した一節が興味深くて、それが入っているテオドール・アドルノ「プリズメン―文化批判と社会」も立ち読みしてみる。その一節の訳が微妙に違うのを発見。中山元「思考の用語辞典―生きた哲学のために」の100ある項目(キーワード)を一日ひとつかふたつずつ読んでいて、この本はものすごく分かりやすく書こうとしてあってじっさい分かりやすいと思うし、項目(キーワード)の選択はなんらかのベクトルというものがそもそも存在しないような拡散的な感じで、興味がバラバラな私にはありがたい。この本の文庫版のamazonカスタマーレビューには「ハンナ・アレントとメルロ・ポンティの登場回数が多い。特にメルロ・ポンティに言及して項目を終えるパターンが多い。その次に重要視されているのはレヴィナスあたりか。」とあり、たしかにそうなのだけれど、私には前半バタイユがやたら出てくるように思えて、で、そのバタイユの言っていることも面白いので気になっていて、経済についての「呪われた部分」を読みたいと思うのだが、単行本しかない。だからというわけではないが、ジュンク堂ではジョルジュ・バタイユ「非‐知―閉じざる思考」を買う。wikipediaジョルジュ・バタイユの項にある「逸話」に「信じがたい苦痛とともにその生涯を終えたという。」とあって、なぜか笑いを誘う。「〜という。」っていったいなんだよ、という。あと、バタイユ的な苦痛のイメージがなんとなく、身体的なものというよりも、なにか知ることも考えることもできないような、苦痛であるかどうかさえもはや判然としないような苦痛(と呼びうるもの?)を思い浮かべて、(逆に?)笑いを誘う。「信じがたい苦痛」っていったいなんだよ、という。あと深澤直人さんの作品集を見てみる。これはいい。けど高い。けど欲しい。というか、要るなあ。たぶんぜんたいとして、私が誰に影響を受けているかというとおそらく、深澤直人さんと小島信夫さんだ。あと最近いちばん共感を覚えるのは、田中功起さんだ。影響は受けていないけれど、なにかしら目指すものが近いような気がする。私のここ1、2年のゆるやかな変化についてだんだん分かってきたのは、なんらかの「普遍」を目指すのであれば、素材を音(楽)に限るのは私にとってマイナスにしかならない、という判断をしただけだろうなあということ。正直なところ、音(楽)じゃなくてもいい、と思えたらちょっと楽にはなった。


「TOKYO SOURCEインタビュー 006 田中功起」より
http://www.tokyo-source.com/japanese/archives/2005/06/006.html

たとえばさっき、明治神宮にあったお化けのような木のように、すでに現実のなかにいくらでも異常なことがあるんだと思ったらものすごく楽になったんです。ぼくはそれを探し出せばいいわけです。構造という「骨組み」が最初になくても、それを世界の中から見つけ出して、それを使ってもいいんだろうと。撮影に関してもそのまま撮影してもいいんじゃないかと。そのままでも世界は面白いんだと。気づくということはそれだけで十分に鑑賞に堪えられるものだと思ったのです。これは「自分がこうしたい」という作者の意図(というよりもうすこし素朴な願望かな)とはちょっと距離をおいた考え方です。もちろんつくるのだから意図はぬぐえないのだけれども、あまり大げさには意図はいらないのかもしれない。だからそれはぼくの作品としてかならずしも実現されてなくとも、それがある世界の方がそれがない世界よりも面白いというようなものとしてそれがある世界があればいい。この世界がどんどんそうなっていったらいいですね。


「アートの現場から[3]Dialogue:美術館建築研究[5]田中功起青木淳」より
http://tenplusone.inax.co.jp/dialogue/dialogue005/dialogue5_1.html

アートとはそれを制作するアーティストの生活であるとか人生とは無関係でも成立するものだと思います。そして例えばこの世界のなかに無数にある隠されたルールや見えない公式のようなものを発見して開示するだけでも十分に成立するものだとも思うのです。それを見出すアーティストはある意味サポート役で、それはだれであってもかまいません。ぼくがサポートしてもいいし、青木さんがサポートしてもいい。見つけただれかがサポートしてそれを見えるかたちにする。そうやって作品ができあがるのが理想的な姿です。それはつまりはだれの作品でもなくなっている事態で作品が作品だけで自律している状態です。もちろんぼくが発表すればそれはぼくのものになってしまうのですが、それは外在的な要因ですし、アーティストの生活もかかっていますから、発表することも必要です。また、このときに有効なのがありきたりなものや身近なものを題材としてあつかうことではないかと思っています。身近であればあるほどそれが普遍なものとして成立したとき、その作品にはスケール感が出てきます。身近なものはとにかくわかりやすいものですよね。にもかかわらずそれが不可解なものになっている。その距離が壮大になる可能性があるという意味でのスケールです。