一昨日の寝る前にイルクーツク2に収められている柴崎友香中原昌也長嶋有(合作)小説「オールマイティのよろめき(extra flight!)」を読んで、そもそも柴崎友香中原昌也長嶋有という組み合わせが何かしら不穏なようでいてそうでもない感じでつかみどころがないのだけれど、アサッテ男が、アサッテ男が出た、と思う。長嶋有さんの小説を読んだのはこのイルクーツク2に収められている「丹下」が実は初めてで、女性の語りなのだけれど、はなし自体はぜんぜん女性ならではのものではないけれど、これを女性が語る、ということでなんかちょっと変わってくるものがあるのかしら、と思う。一昨日の寝る前にイルクーツク2に収められている柴崎友香中原昌也長嶋有(合作)小説「オールマイティのよろめき(extra flight!)」を読んで、なんとなくその勢いで松田暢子さんの「シャンプーアンドリンス」をちょっとだけ読むと、最初の段落だけ読むと、ぼわっととつぜん女子感が襲ってきて、割と良い気分で眠りにつく。昨日はさて寝るかなという前になんだか暗い気分が襲ってきて、これはいかんということで、寝る前に松田暢子さんの「シャンプーアンドリンス」を読むと、仲の良い女友達とはなしている感じがして、あれもこれもそれももう終わってるのに何を待ってるの、と言われる。おお、そりゃそうだとがーんと大きなショックを受けつつも、やっぱり女性の方が生命力が強いのだ。インタビュー「穂村弘と三人と一人」はしばらく前からパラパラと寝る前に読んでいて、名久井直子さんの「仮病なの」があまりにことばにし難くてKAVCでの座談会で拝見した名久井さんご本人のイメージとも相まってあまりにあまりでこれは恋に近いのかもしれない。とにかく穂村弘さんと長嶋有さんもおっしゃっているように「すべての女性が女神のようにという願い」を私たちは表現しているわけで、「「もちろん思っていたこととちがいますよ、世界は世界ですから」というその構造が、常にとても新鮮にあるから。」なのであります。もちろんそれは「現実世界に圧倒されることの反動」ともいえるのですが、それを乗り越えたいとか塗り替えたいとかそういうことではなくて、圧倒されるためにこそ「願う」ようなところが私たちにはあります。そしてそれが女性にとってはちょっと疎ましくて鬱陶しいのも重々承知しておりますが、やっぱり女性にはいつも圧倒されてしまうのです。すこし風邪気味なので今日はお風呂はなしにして寝て、東京行きの準備などは明日にします。きょうは年明けてから初めて口笛文庫とオキムラコーヒーに行く。年末にミハイル・バフチン著作集のシリーズがいくつか入荷していて、「言語と文化の記号論 ミハイル・バフチン著作集4」をとりあえず買っておいたのだが、きょう行くとひとつを残して全て売れていた。というか新時代社からのこの著作集、amazonマーケットプレイスで9000円とかしているぞ、なんだこれは。晶文社ヴァルター・ベンヤミン著作集は売れてないのに。水声社ミハイル・バフチン全著作に入ってないのもあるのかしら。あるっぽいけど。転売したら儲かっていたのだろうか。ヴァルター・ベンヤミン著作集2巻「複製技術時代の芸術」をついさいきん口笛文庫で手に入れて読んだのですが、とても面白かったです。いまごろ読んだのかという感じでもありますが、いまの自分の感覚で読み替えてみるといろいろ得るものがありました。芸術の依って立つところが、儀式から政治へとすっかり移行してしまっていて、いまはその政治の問題をどげんかせんといかんということなのだと思っていてそのあたりでほうほうと読んだのですが、ひょっとしたらそれもすでに完了している問題なのかもしれませんが、とりあえず私のなかでは完了していません。もちろん政治といっても永田町のそれではありません。他の言い方があった方がややこしくなくていいかなあと思います、現代日本の私たちの世代にとっては。政治アレルギーと宗教アレルギーと思想アレルギーはその字面を見るのもイヤ!という感じで私たちのなかにいます。厄介だなあ。分かるけど。私の知っているある女性は自己啓発本は読むけれど(早起きするとか部屋を片付けるとか5分前行動とかそういうの?)、思想についての本はイヤ!とのことで、なんとなくその感じが宗教に対するアレルギーと近いものがあります。というか私が志賀直哉を読んでいるというと、そういうのは思想というか影響されるから読まない、とのことで、志賀直哉が思想?と思ったのですが、思想というよりもなにかしら重いのがイヤ!ということなのかなと思います。こう言われたとき私はちょっとだけ悲しかったです。もうこうなってくると思考アレルギーとかになってしまうのでしょうか。考えるのはイヤ!という。といっても責められるものではありませんが。そこを責めるべきではないといいますか。その方面で行くと、どげんかせんといかん、啓蒙せんといかん、というふうになってしまって、そういうものをこそ私たちは嫌っているのであって、溝は深まるばかりです。でもその女性は私なんかよりぜんぜん鋭くて、そういう人はあまり考えなくてもいいのかもしれません。オキムラコーヒーではパプアニューギニア産のシティローストを200g買いました。いつもいつも聞くのだけれどいつもいつもそれぞれの豆の性格というか特性というか属性を忘れていて、どの豆の性格というか特性というか属性を忘れているのかも分からないので、これはどんな味でしたっけ?とぼやかしながら、見慣れない(というか忘れている)豆があると質問する。パプアニューギニアのはコクがあってまろやかとのことです。いまのところ東ティモールが一番好きかなあと思います。あと「どげんかせんといかん」は九州の佐賀生まれの私にとっては(当たり前ですが)自然な感じで、パロディ感はうすいです。ないとはいいませんが。あ、あと、ばあちゃんの病院にはまいにち夕方から行っています。年明けからは年末にばあちゃんのいる4人部屋に越して来た向かいのばあちゃんと仲良しになったようでいろいろお互いに話しかけあったり手を挙げあったり頷きあったりしていますが、内容の面で噛み合っているとは言い難くて、それでも特に問題ないようで、お互いに話しかけ手を挙げ頷き「あう」ことの方が本当は私たちには大切なのだなあと思いました。あ、書き忘れていましたが、きょうは口笛文庫でドフトエフスキー「悪霊(上・下)」を買いました。そしていまさっき小腹がすいたのでバナナを食べてから寝ようと思い、バナナをむいていたら、1/6くらいを残してぽろっと折れてしまい、ぽとっと床に落ちてしまって、ゴソゴソと起き出してきて自室からリビングに入ってきた姉に、落ちたばい、と言うと、ありゃー、と言いました。しょうがないので牛乳とアラポテトじゃがバター味の残りを少しと山盛堂本舗のカレーのおせんべいをひとつ食べて、冷蔵庫に姉の買ってきた生ハムがあるのでそれもちょっと食べようかなーといままさに思っています。小腹がすくとなんでもかんでも食べたくなって、しまいには同時になにもかもぜんぶを食べたい!という気持ちが湧きあがってきます。