東浩紀さんの「批評の精神分析 東浩紀コレクションD」を立ち読みしていたら、冒頭に宮台真司さんとの対談「データベース的動物の時代」というものがあって、宮台真司さんのサイトにある「宮台・東対談〜『動物化するポストモダン』を読む〜」と同じもののようでタイトルが違うけれど厳密に同じかどうかは買って比べてみないと分からないのでなんともいえない。

「宮台・東対談〜『動物化するポストモダン』を読む〜」の東浩紀さんの発言より

その工学的で動物的な世界のなかでは、データベースから抽出されたシミュラークルを次から次へと交換することでなんとなく生きていく人々が大多数を占める。むろん、それに違和感を覚える人々は確率的に出てくるでしょう。今後はそういう人々が哲学や思想を支えていくはずです。そこではいちおう、社会的なシステムへの「批判」がなされる。しかしそんな批判も、大局からすればデータベースの一部にすぎない。世界に違和感を覚える人々のために用意された、消費財のオプションにすぎない。たとえば『批評空間』の読者が動物的ではないのかといえば、まったくそんなことはない。浅田彰さんの華麗な文章を読んで「よしきた」と反応している人々は、結局ポストモダニズムのデータベースに反応しているにすぎない。これは「猫耳」に反応しているのと構造的に変わらない。哲学や思想は、いまではそのレベルに落ちている。

いまはなんとなくこういうデータベース的な思考でなんでもかんでもなされているような気もする。音楽とかの芸術も例外なく。関係性を選ぶっていうのはひょっとしたらこういうことかもしれないと思う。消費材のオプションとして何かを提供してしまう、せざるをえない、のなら何もしない方がいいとか思ってしまうが、それはもっと良くない。「データベースから抽出されたシミュラークルを次から次へと交換する」せざるを得ない、というのは分かるなあと思う。そして宮台さんも言われているようにそれはだんだんダルくなってくる。樫村愛子さんが「ネオリベラリズム精神分析〜なぜ伝統や文化が求められるのか〜」で(おそらく動物化に対して)再帰性について述べているけれど、それが自分の中だけの堂々巡りでないとはなかなか言い切れないのが難しいなあと思うし、明日はこれがあります。
『Solos #1』
会期:2007年12月12日(水)
会場:FUKUGAN GALLERY
   大阪市中央区西心斎橋1-9-20 4F T/F 06-6253-3266
時間:20時から
料金:1500円 ワンドリンク付き
出演:宇波拓 、 木下和重
あと、昨日たまたまyoutube板尾創路さんの動画を見ていたら、なんとなく板尾創路さんとチュートリアル徳井義実さんの佇まいが似ているような気がした。2:43くらいからの空中ブランコのところを見て思った。声が似ているのかもしれないが、なんとなく言うことが似ているようにも思える。「自分が押すんか?自分誰や?名前?」とか。