13時半ごろ起きて14時に出発しようと思ったけれどたぶん10分くらい過ぎていて、出発までに昨日いれたコーヒーを温め直して飲んだり、西宮の阪神百貨店天然酵母のパン屋さんで買って冷凍しておいたなにやら黒っぽい食パンを焼いて食べたりして、歯磨きして顔を洗って髪をどうこうしたりすることは一切なく、普段なら阪急なのだけれど今日はお金をおろすためにJRの方まで下っていってお金を13,000円おろしてから、JRの改札を通る前にチケットショップで大阪までの切符を買って、JRの改札を通る前にりそなのATMの近くにあるファミマだったかローソンだったかそのどちらかで支払いができるのでそのどちらかだと思うけれど、来年に乗る東京-大阪往復の高速バスの代金を支払おうとして、そのような予約はありません、とか表示が出たりしてなんだかうまくいかなかったので、仕方なくチケットショップで大阪までの切符を買ってJRの改札を通りJRに乗って大阪方面へ運ばれてゆくあいだに、おととい換えたばかりの新しい携帯でgmailが見れて楽天トラベルからのメールが見れるんじゃないかと思ってやってみたら見れた。いまふと、本町のシェ・ドゥーブルでのcom+position5のあとにみんなで話している時に木下さんはダジャレが得意で江崎さんは苦手で小田君はどうなの?みたいなはなしになって、そのときは木下さんに近いと考えていたのだけれど、どうやら木下さんがダジャレだとすると私はホラ話だな!と思った。もっともらしい微妙なホラ(ウソとホラの違いってなんだろうか。別にウソつきでもいいけどなにか印象が悪いのでホラ吹きということにしたい)を吹いてみんなのはなしをいままでと関係のない方向に持って行くのが好きなのだが、こういうことをするとはなしが進まないので疎んじられる。なので普段はちゃんと空気を読みながらちゃんとしています。JR六甲道から大阪まで、私の隣に座っている何かの運動系サークルに入っているらしき上下ジャージっぽいのを来ている女子大生らしき女性がなぜか電車の中で香水をつけはじめたり尼崎あたりからちょっと寝てたり髪型がちょっと可愛かったりするのが気になりつつも顔は見ていない。JR六甲道から大阪まで、隣の女性に気を取られる瞬間がちょくちょくありつつも、少しだけ渡邊二郎「芸術の哲学」を読む。だいぶ前に買ってちょっとだけ読んで放っておいたのをまた最初から読んでみる。立木康介精神分析現実界フロイト/ラカンの根本問題」は昨日おふろで読み終えて、とても面白かった。どう面白かったかを言うのは難しいけれど、いつも考えていることをもっと考えるためのヒントをたくさんもらった。最後に収められた第九章 質料と偶然は特にいつも考えていることとリンクしていて面白く、アリストテレスはすごいなあと思う。この章で言われている「質量」と郡司ペギオ-幸夫の言う「質量」はかなり近いような気がする。どこの章だったかたぶん真ん中あたりだが、ラカン「エクリ」のどこどこにあるこれこれの図を見よ、と書いてあってエクリなんて持ってないし!と思ったが別になくてもなんとなく読めたし、とある古本屋にエクリ3巻組が10,000円で売ってあってその値札にはジャック・ラカン「エリク」と書いてある。おととい換えたばかりの新しい携帯でgmailが見れたのはわりと衝撃で、テレビも見れるのだけれどあまりちゃんと受信しなくて、帰りの電車で江崎さんとみつ君と三人で長澤まさみさんと明石家さんまさんが出ているドラマを見ようとしてみたがちゃんと見れなかった。長澤まさみさんは最近少し痩せたような気がする。まんまる顔ではなくなってきたような。まんまる顔もいいと思うけれど。おととい換えたばかりの新しい携帯を換えるためにAUショップに行って、予約していたのはinfobar2のグレーとミドリで、お店で釈由美子似のと言いたいところだがそうでもないけれど路線としては近い店員さんといろいろ話しながら何十分か迷って、カラーのやつは飽きますよと言われ確かにそういう気もするのでシルバーにする。釈由美子似のと言いたいところだがそうでもないけれど路線としては近い店員さんと私が楽しく話せたのは携帯を機種変更するという目標があって会話の土台がしっかりしているからだと思った。それ以外のところでこの店員さんと楽しく会話できる自信はないが、できるだけのことはやってみたい。com+position5ははじめに江崎さんの曲(たち)「3分間」を7、8曲(と江崎さんが演奏前に言っていたがいくつ演奏したかは数えていない)。次に木下さんの曲「window music(仮)」。最後にみつ君の曲のタイトルは聞き忘れた。前に複眼ギャラリーでやった曲のバリエーションとのことなので、たぶん「longbow」でいいと思う。「2」とかになるのかな。ここまで書いてこのまま書いていたらお風呂に入りそびれそうなのでどうしようか考えていて、今日はプリズンブレイク2がない日曜の夜なのでもう少し頑張ってみることにして、江崎さんの曲(たち)「3分間」はなんというか短い曲がいくつかというだけで新鮮で、いろんな3分間をそれぞれに較べたりできるのが楽しい。おお今度は最初にそれが、とか、今度はさっきあった最後のあれがないのか、とか、今度はみんながそうか、とか、いろいろ楽しい。長い曲だとその「長い」1曲で一区切りなのでこういうふうに同じ長さの部分を較べたりとかはできない。こともないだろうけど私には難しい。いままでの江崎さんの曲とは違った方向性のものだけれど、なんとなく「らしさ」というか、ストレートな単純さの楽しさは共通しているように思った。木下さんの曲「window music(仮)」は、3人の奏者が外に出ていて、大きな窓のガラス越しに観客はその演奏を文字通り窓の枠というフレームを通して見ることになる。それぞれにいろんなタイミングで、トランペットをかまえて吹いたり、フルートをかまえて吹いたり、バイオリンをかまえて弓で弦を弾いたり、しているのだが、会場の向かいのビル前でやっている何かの引っ越し作業のようなものの音や車の音しか聴こえない。しかし音はなくとも[かまえ始め-かまえ終わり]のある時間的長さを持つ仕草の始まりと終わりによって、出来事が区切られ積み重ねられてゆく。出来事の積み重ねに焦点を当てるならば、そこで必要なのは出来事かそうでないかの区別だけなので、音は必ずしも必要ではない。木下さんのこの曲は私が持っていたある疑問に答えてくれたように思う。その疑問というのは、出来事の積み重ねのような空間的な構造を音で表現する場合、ピッチの変化は必要なのかな、例えば何かの単音だけを使うとしてその音を選択したことと出来事の積み重ね方に何らかの密接な関係が生じ得るのかな、ということで、木下さんのひとつの答えがこの曲にあったと思う。また、ここから始まることもあると思う。みつ君の曲は聴いているあいだわりと長いなと思っていて終わったとき40分くらいかと思っていたらちょうど1時間だった。といっても長いのが苦痛だったわけではなくて、なんとなくずっと聴けるような感じで、後半多少眠気が襲ってきたりはしたけれど、全体として意識をしっかり保ったまま楽しく聴けた。パートが6つくらいに分かれているような気がしたが、たぶんそういうのは一切なくて、演奏者の自由度の高い解釈に幅のある指示のみのスコアだったようだ。ということは3人がお互いを意識しつつ3人それぞれに振る舞った結果がそのまま「曲」になっているということで、個々の判断がうまい具合に曲としてまとめられていてすごいなあと思う。後半、ピッチの変化を伴う音の持続が木下さんと江崎さんに現われてきてなかなかスリリングだった。ピッチの変化を伴う音の持続以外にも、音が重なりあってモアレのような効果が出るとか、音の出来事に適度なというかささやかなバリエーションがあってこれもしぶいなあと思う。バーナード・ギュンターの「abschied」だったか「redshift」だったか楽器の音を使ったものを聴いているあいだと似たような感覚を覚えた。com+positionに皆勤で通い続けることで、積み重ねることで、いろいろ楽しめることが増えたような気がして、とてもありがたいことだと思う。遅い晩飯はみつ君とJR六甲道付近の漁師屋ラーメンだったかそういう名前の魚のダシで作ったスープが売りのラーメン屋で、みつ君はしょうゆラーメンとおにぎり、私は味噌ラーメンを食べる。なんとなくやっぱり黄色いたまご麺というのかそういう麺には馴染めない。給食のラーメンの麺を思い出してしまう。長浜ラーメンのような細くて堅いまっすぐな麺が好きだ。というかラーメンといえばそういうものしか知らずに育ったのでしょうがないのかもしれないが、そういう麺でなくても本当に美味しい麺というものを食べてみたい。どうやら豊中のあたりに麺がとても美味しいラーメン屋があるようだ。豊中には雑誌のコーヒー特集によく出てくるコーヒー屋もある。