既知を無価値とし未知に価値を見出す姿勢と
未知を無価値とし既知に価値を見出す姿勢とがあって
いろんな分野でお互いにそれぞれ歪みあっているのだけれど、
それが顕著だなあと思うのは「マニアック」ということばを使う場面でのことが多くて
「マニアック」っていうのは立場によってまったくその意味が反転してしまう概念で
「マニアック」であることが誇りであるような立場(少数派?)と
「マニアック」であることが恥ずべきことであるような立場(多数派?)があって
前者と後者はお互いに軽蔑しあっているようなところがあって、
いつも思うのは
浜崎あゆみしか聴かないなんて人がもしいたとして
そういう場合も十分マニアックであるし
とか書いていたらwikipediaの「マニア」の項、「マニアック」の用法というところに

上記の通り、あくまで「熱狂的な」を意味する形容詞であって、「マイナー(=少数派)」「マニア向け」といった意味ではない。「マニアック」は対象への熱中の度合いのみを表現する言葉であって、その対象がメジャーかマイナーか、マニア向けであるかどうかは関係無い。例えば、『普通の人間ならしないような選択』を指して「マニアックなチョイスだね」などと言ったり、マニア向けで一般人には分かりにくいジョークを指して「マニアックなジョーク」と評した場合、それは誤用となる。

というのがあって、マニアックか否かを少数派が多数派かということと
混同している場合が多いということなのだろうか。
こはちょっと言い換えて
少数派と多数派がそれぞれ歪みあっていることにして(実際どうかはそんなの知らないが)
とにかく少数派が気持ち悪いのは、
「自分にしか分からない」というよく分からない優越感のようなものや、
そういう人達だけで群れて内輪で認めあうみたいなことに
その欲望の矛先があるように見えるからだろうか。
というのは多数派が思っていることでもあるだろうし
とにかく多数派が気持ち悪いのは、
たくさんの同じ仲間がいることや、
無難に自分をカテゴライズできる選択をすることに
その欲望の矛先があるように見えるからだろうか。
というのは少数派が思っていることでもあるだろうし
とここまで書いてきてよく分からなくなってきて
なおかつもう面倒くさいのでこのへんでやめる。
というかいまぼんやりと思っていることに辿り着きそうもない感じがしてきた。
それとはあまり関係ないがいまふと思ったのは
音楽とか映画とか写真とか服とか料理とか小説とかの趣味が自分と似ているからといって
誰かをいい人そうだとか気が合いそうだとか思うのは
はっきりいって馬鹿げているし実際にも馬鹿馬鹿しいということで
こういうのは人間そのものの何かしらの特性のようなものが関わっているのかもしれないが、
こういう人は音楽好き、映画好き、写真好き、服好き、料理好き、小説好きなどの
特定の何かを熱狂的に好きな人というか
特定の何かに強く依存している人にやはり多いような気がして、
私自身そういうところがあるからか、最近こういう人に出会うと
人間の面白さはそんなところにはないんじゃないのとか思って
思うだけで別になにか言うわけでもなく、もうほんとうにうんざりしながらも
それはそれでそういう馬鹿馬鹿しさを面白がったりすると面白いし
これに限らず、いろいろのうんざりすることもろもろは
コストをかけずにリスクを侵さずに簡単に楽に済ましてしまいたいという
(現代の?)人間の合理性を求める思考が関わっているような気もする。