10/12(金)の17時すぎくらいに、今年の2月くらいに川口君に連れていってもらった中崎町のヨーロッパ物の古着屋(?)で買った、確かいまはなきヘルムート・ラングジーンズ(ウエスト28インチで普段はベルトで締めて穿くのだが今日は面倒なのでそのまま穿いて、長さというのかレングスというのかがさすがヨーロッパだけあって異様に長くて、私の足の長さに合わせて裾上げしたら、膝上でこすれた色落ちの部分が私の膝下まできてしまっている)と中学だか高校の頃に福岡の古着屋で買ったアディダスのジャージ(なんと呼ぶのか分からないがファスナーの上げる部分、googleにて「ファスナー 上げる部分」で検索してみるもすぐには分かりそうもないので諦めるが、そのファスナーの上げる部分が右付きになっているのはレディスということなのかどうなのだろうか)を着て、ジーンズと紺色のジャージだと青青してるけど、ジーンズは青色と考えるよりジーンズ色と考えた方がよいと思っているのでこれで良しとして、家の玄関を出て右に曲がってすぐの家に飼われている犬がいつもなら吠えるのだが今日は吠えなくて、山側へ道を進み、角に掲示板のあるY字路の掲示板の角ではなく中心あたりに貼ってあるおまつりのポスターを見ていて模擬店の模擬っていったいなんなんだろう、本物の食べ物を売ったりしてるのになにがどう模擬なのか、と思いつつその角を左に曲がって、真っ直ぐ行き橋を渡って右へ行けば小学校左へ行けば交番のY字路を左に曲がって木下さんに倣ってギューンと行ってプチブレを通り過ぎて突き当たりの道路を渡って左手にあるビルの2階にできた新しいカフェでも喫茶店でもなんでもいいが、むかし大学のころ、コーヒーとか紅茶とかケーキとかをお金を払ってイスに座って飲んだり食べたりするところを喫茶店と言ったら喫茶店?!とちょっとバカにされたのでここはあえて喫茶店と呼びたいが、とにかく新しくできた「うた」というカフェに行ってみる。私が行ったときは誰もお客がいなくて、店主の女性は同じフロアの向かいの雑貨屋の店主と立ち話をしていて、珈琲と紅茶と焼き菓子、とのことなのでキャラメルなんとかのミルクティーとレモンとなにかのなんとか、というお菓子を頼む。珈琲の豆の量が20gと30gと選べたり、紅茶の葉っぱを4種類から選べたりなにやら細かくいろいろ選べるようだ。入り口あたりの陳列ケースのようなものにカップが数種類とボウルやお皿が並べられていて、カップも選べるらしく黒っぽいカップを選んだら、それは小さくて入る量も少ないですよ、とのことなので、薄黄色のカモメの柄のカップにする。それは小さくて入る量も少ないですよ、ということは紅茶をポットでサーブするわけではないということでもあるけれど、それはそのときは気付いていないというか気にしていなかった。キャラメルなんとかのミルクティーとレモンとなにかのなんとか、というお菓子がやってきたあたりで、新しいお客がやってきて、私は窓に向かったカウンターに座っていてそのお客が座ったところに背を向けるかたちだったので、出て行くまで姿を見ていないのだが、はなしから察するに30くらいと25くらいの娘ふたりと三人暮らし(夫はどこにいったのだろうか)の中年女性とその女性に教授と呼ばれる中年男性のようで、団塊ジュニアはろくでもない(たぶん私くらいかもうちょっと上あたりの人のことなのだろう。いまここの文章に勝手に貼付けられるリンクをクリックしてみてみたら、通常、1971年〜1974年生まれを指して言う、とのことで、私より上の人達のようだ。確かに私が出会った、30代のサラリーマンのほとんどは本当にびっくりするほどろくでもなかった。もう一生関わり合いにならないようにしたい、などと向こうは思っていないだろうが私は思った)、とか娘がなかなか家を出て行かなくて困る、みたいなことを話していたが、このカフェでいいところは海側に割と大きめの窓があって、道を下って行く大学生や高校生を見たり、だんだんと陽が落ちて雲のかたちや色が変わっていくのを見たり、はるか遠く電柱や電線のあいだに少しだけ見える海を見たり、その海の向こうに見えるおそらくは六甲アイランドの建物らしきものを見たり、できることだと思う。カフェ通の木下さんに教えてあげたい。キャラメルなんとかのミルクティーを飲みながら、レモンとなにかのなんとか、というお菓子を食べながら、中年女性とその女性に教授と呼ばれる中年男性のはなしを聞きながら、外の風景を見る以外には、竹田青嗣現象学は思考の原理である」を読んだ。


10/13(金)の16時すぎくらいに、と書いた、というよりもコピペして書き換えた時になにか飲もうと思ってさらに温かいものを飲もうと思って昨日の夜いれたコーヒーもあるけれどなにか違うのをと思い、今日買ってきたカルピスに牛乳を少し入れてあとは水を入れてレンジで温めてみたところ、なんだか乳成分らしきものがざらざらと分離してなんだかよく分からない飲み物ができたが仕方が無いのでとりあえず飲むも最後までは飲めなくて、なんだかんだで18時くらいにTARO NASU GALLERYに到着。梅田から地下鉄御堂筋線に乗って本町で降り、地下をしばらく歩いてとりあえず12番出口から外に出て、久太郎町のあたりをひたすらうろつくもどっちの方角が博労町なのか分からないまま電柱やビルの番地表示を見ながら適当に歩いて行くと、どうにか博労町には辿り着いてあとは電柱やビルの番地表示を見ながら博労町3丁目と4丁目のあいだを通って5丁目と6丁目のあいだを通ってさらに7丁目と8丁目の十字路に辿り着いたところで左に曲がると右手にTARO NASU GALLERYがある。ギャラリーのなかに入るとゴトッという物音がして次に扉の開く音がして入り口から見て左側の壁と部屋の中央の立方体のあいだの通路から向こうを見ると女性がひとり現われていてあいさつを交わす。このギャラリーの構造についていちいち記述するよりもここ(http://sixsense.blog55.fc2.com/blog-entry-56.html)を見ていただければだいたいの感じはつかめると思うが、とても面白い構造をしている。が、壁のひとつひとつのおおよそ40cm×40cmくらいのサイズのタイル(?)の質感はつかめないかもしれない。どこの壁にもドアらしきものがなくていったいこの女性スタッフはどこから出てきたのかと探していて、奥のスペースの左のあたりに取っ手らしきへこみがあってここか、忍者屋敷みたいだ、と思っていたが、女性スタッフが出てきたのは真ん中の立方体の中からだということが会話のなかで分かった。いま行われている展示は松江泰治「cell」で、さきほど書いたタイル(?)のサイズに合わせて切り取られた、様々な都市の様々な人々の生活の空撮(かどうかは定かでないが、少なくともそう見える)が壁に埋め込まれるかたちでギャラリーの壁にランダムに配置されている。拡大され部分だけ切り取られているので写真の表面上の質感はなんだかザラザラしている。ぐるっとまわるうちに思ったのは、ここで現われている(表されている、現されている、ではなく)のは、私がかつて小島信夫の小説、「残光」を読んでいるあいだ、その書かれていることがどうとかいうより「世の中にはたくさんの人がいるしかつていた。世の中にはたくさんの出来事があるしかつてあった。」ということが実感として感じられた、のと同じことだと思った。全ての写真に人間が写っていてそれぞれにそれぞれの用事をしているのだが、それぞれに「物語」が立ち上がったり、それぞれが関わり合って「物語」が立ち上がったりするような感じではなく、ただそれぞれにそれぞれがある、だけだった。世の中にはたくさんの人がいるしかつていた。世の中にはたくさんの出来事があるしかつてあった。そしてこれからも、世の中にはたくさんの人がい続けるし、世の中にはたくさんの出来事があり続ける。これを実感として感じられることがどれだけ生きる支えになるか分かる人にしか分からないかもしれないが、そんなことは別に問題ではなくて、これは過去といまと未来を含む(というかそれらを「含む」と信じることそのものが?)世界への基本的信頼とでもいうべきものなのだろうか。展示の形式、かたちとしても「cell」、その展示によって現れること、世界の最小構成単位としての人々の生活(の集合体としての世界)=「cell」ということなのだろうか。とか謎解きめいたことなどほんとうにどうでもよくて、ここで、私のなかに、なにが現われたか、だけを、きちんと見る必要が、少なくとも、私には、ある。
ついでに「私のように美しい」1012より写真がらみのことを

それで、何がというと、真っ白い部屋なのだ。明るい部屋で、雪で、桜で、そしてガラス板には写真に見入る人々の姿が映る。なんというかそれはそれでトータルな何かデザインとしてはありなのかもしれないなーと思ったのだ。「東京都写真美術館の2階展示室で写真を見る」という総合的な体験としてはいいのかもしれないしそれは何かインタラクティブな何かとも言えるかもしれないなあと思って、だから体験とか云々しているのだけど、私はだけど鈴木理策が撮った熊野の写真を見たかったのでそんなん欲してないよと思ったのだ。そして多くの人がそう思ったはずなのだ。なので体験としては圧倒的にGAGAで見る『デス・プルーフ』の勝ちー。

なんかいいと思った、こういうあっちいったりこっちいったりの考えそのものが。で、TARO NASU GALLERYをおいとまして次はベルリンブックスに行きいろいろ物色するが「三太」を置いてもらうだけにして、いまのこういう時間帯にテレビを点けているといつも優木まおみさん出演の黒酢がなんちゃらというCMなんだか番組なんだかまあ長いCMなんだろうが、がやっていて、優木まおみさんはけっこう好きなのだが、同じ年に同じ県に生まれたからというわけではなくて、優木さんが卒業した致遠館高等学校はたしか私が卒業した鹿島高等学校より頭の良い進学校だ。小、中と塾漬けだったのでその反動か、というか反動なのだが、私は高校入学と同時に親にもう勉強しないと宣言して実際に実行した。英語はきれいな下降直線(曲線ではなく)を描いて成績は下がって、数学に至ってはマルでもバツでもないサンカクを集めて3点とかそういう具合で、なぜか受けたセンター試験などはマークシートで模様を描いた。あとこの頃の私のバイブルは藤原新也「印度放浪」「西蔵放浪」だったので、担任に進路は?と問われて旅人と答えたが、旅人にはなれなかった。なりたいものになれるとは限らないのだ。なるかならないかだけなのだ。あと、平間君のサイトに10/7(日)の極西楽団の演奏(?活動か?)の模様がアップされている。http://hrmtkhr.web.fc2.com/menu/kyokusei04.html最後から二枚目の写真に写っている猫はミーコといって私が住んでいる家に以前住んでいた人が飼っていた猫でいまは向かいの家のおばさんが飼っているが、そのおばさんもいまは向かいにはいなくてちょっと上の方に住んでいてたまにその娘さんらしき人が向かいの家のあたりにエサを置きに来る。話しかけるとたいていは返事をする、くらいには慣れた。一番最後の写真はスタバの大阪ガーデンシティ店が閉店して、地下道に入る前にそのあたりの地上をうろうろしていたら野良猫が2匹いたのでそのなかの1匹に平間君のギターを持ちながら話しかけているところだと思う。