どうも自分が考えていることは「現象学」とやらに関係がありそうだと思って
ちょっと調べてみてとりあえずのとっかかりとしてその表紙の一節

実学をやめよ。それは結局信念の対立と、したがって権威づけられた思想どうしの対立に帰着するほかない。本質学を開始せよ。そのことで、思想をフェアな関係のゲームとして開け。これが現象学の方法の根本メッセージである。

を読んで、竹田青嗣現象学は思考の原理である」を買ってみる。
実学とか本質学とかはまだよく分からないが、とにかく
「結局信念の対立と、したがって権威づけられた思想どうしの対立に帰着するほかない。」
ことにはほとほと疲れ果てていて、だからといってそれを
他者への否定的理解でもってかわそうとすることはまったくもって面白くない。
あとこれを買った三宮のジュンク堂の同じフロアでみかけた
河野哲也「善悪は実在するか アフォーダンス倫理学」も少し気になる。
善悪とか真偽とかそういうのを個々の信念の対立(これをポジティブに捉えたのが弁証法?)に
委ねてしまうからややこしくなるのであって、
その時その場の環境における「適正解」に従うという方法もあるような気がする。
といっても、その場のノリ、とか、その場の空気、とかいうとニュアンスが異なる。