あーそういえば私も23歳の時に当時27か28歳の女性になんでそんなに人に嫌われたくないのって言われたことがあって、といってもパソコンのメールでだけれども、あとはまあ八方美人とかも言われたことがある。こう書くとなんだか男女のごたごたのような感じだけれどそういうごたごたではない。ごたごたと言えばごたごたかもしれない。私は兄弟のなかでといっても姉と妹だが、気遣い担当とか優しさ担当とか言われていて、今日も3人でネギ焼、お好み焼、そばめし、もつ煮込みなどを食べて姉が足が痛いとのことでタクシーに乗って帰ったのだが、ドライバーが初老というよりも老人という感じのおじさんというよりもおじいさんという感じの人で「阪急六甲にお願いします」「ああJRの」「いや阪急です」というやり取りですでに姉と妹が笑っていて、私ももちろん笑いたいがあまり笑うとおじいさんが気を悪くすると思って、いろいろ別のはなしをしてふたりの笑いを抑えつつおじいさんの注意も逸らせるということをやっていて、線路沿いの道を走っていると踏切のところの十字路で右側からタクシーがやってきて、私たちの乗ったタクシーが一時停止しているあいだにすーっと前を横切って行って、私たちのタクシーも発車してしばらく走っていると突然「一時停止って標識があるのに行きおった!あれがプロですよ!」などと尋常ではない滑舌の悪さで叫びだして、私はびっくりして「そうですよね」とかはなしを合わせていたのにおじいさんは全く聞いていなくて、降りる時にもなにやら言ったあとで「お疲れさん」と言った。というくらいあらゆる人に気を遣う性格で、というよりもただ単に「私は誰にも嫌われたくない」し「嫌いな人からも嫌われたくない」というだけで、これは欲望ではなく生理なのかもしれない。というよりもよくよく考えてみると、あらゆる人に気持ちよく生きて欲しいというだけかもしれない。というのは裏返すとただ単に「私は誰にも嫌われたくない」し「嫌いな人からも嫌われたくない」というだけで、これは欲望ではなく生理なのかもしれない。嫌いな人から好かれるのはできるけれど、だからといって嫌いな人を嫌いじゃなくなっているわけでもないが、私が嫌いな人を不快にさせる理由もない。というのは裏返すとただ単に「私は誰にも嫌われたくない」し「嫌いな人からも嫌われたくない」というだけで、これは欲望ではなく生理なのかもしれないが、あまりいたずらにこの一文をコピペすると気持ち悪い。まあとにかく欲望ではなく生理だ、という考え方は興味深い。選択可能な欲望ではなく、選択不可能な欲望という意味で生理なのだろう。
この前読んだ、木村敏分裂病と他者」第五章「精神医学における現象学の意味」より

関係そのものでありながら、関係が関係として構成されたときには、つねに関係の一方の項としてとして振舞うことになるような一つの不可思議な原理、それが分裂病というこれほどまでに奇異な病態を生み出している基礎障害の座としての-ブランケンブルクのいう-「超越論的自我」だということになる。

たぶんぱっと見は関係がありそうに見えるだろうが、まったく上の流れとは関係なくて、「関係そのものでありながら、関係が関係として構成されたときには、つねに関係の一方の項としてとして振舞うことになるような一つの不可思議な原理」という考え方が興味深い。あと、きのうというより厳密にいうとおとといだが、プリズンブレイク2を見終わったあとにやってみた「あなたは戦国武将でいうと誰?」によると私は織田信長らしいし、いまもう一回やってみても織田信長らしい。また、いまさっきやった「あなたは戦国武将でいうと誰?」のあとにやった「あなたは芸能人でいうと誰?」によると私は久米宏らしい。