デヴィット・リンチ、あーそういえばこの前美容室で読んだなんかの雑誌でインタビューを読んだ気がすると思って、美容室で渡される雑誌はいつもメンズノンノと「男のこだわりアイテム」みたいなのとスポーツ関係のやつなのだが、このどれか当たるだろうという感じがいつも面白い。ということよりも「〜〜関連」という言い方の方が面白い。前の職場にこれが口癖の人がいてスケジュールの確認をする時に、今日は・・と・・とあとはフォロー関連といつも言っていて、フォローそのものではなくフォローに関連したものってなんだろうといつも思っていて、やさしく遠くから見守ってくれていたのだろうか。ときたまやってくる映画観ようかなという気分はいつものようにやってきてすぐ通り過ぎて行ったのだが、映画なんて観だしたらたまに観るとかじゃなくて常に観るみたいなことにならないといけない気がするがどうなんだろうか。私は人生で5回くらいしか映画館に行ったことがないのでなんともいえない。といっても映画が嫌いなわけではなくてなんか観るのが面倒臭くなってしまうだけだ。金曜ロードショーとか日曜洋画劇場とかしか普段目にしないからかもしれない。重大な事件が起きても最後には無事解決して正義は勝ち悪は負け男と女は結ばれるのがどこまでもつまらない。というよりも始まりと終わりがあるのがそもそもつまらない。始まりの前もその前もその前もその前もあるはずだし、終わりの後もその後もその後もあるんではなかろうか。なんで決められた時間のあいだで、都合の良いことばかり、またはその逆のことばかり、その他もろもろ描きたいんだろうか。とか思うのもたぶん金曜ロードショーとか日曜洋画劇場とかしか普段目にしないからかもしれない。始まりと終わりがあるのもつまらないが、なにかしらの物語が進行しているその部分しか意識してはいけないようになっているのもつまらない。陰惨な事件が起きたその100km先では少年野球チームの子供たちがコーチに怒られながら練習をしているかもしれないし、そのまた100km先では100歳のばあちゃんが老人ホームのお祭りで三味線を弾きながら鹿児島の民謡を歌っているかもしれないし、何が起こっているのかなんて誰にも分からない。とか思うのもたぶん金曜ロードショーとか日曜洋画劇場とかしか普段目にしないからかもしれない。複眼ギャラリーの村田さんがこの前のBee CRAFT FAIRでの演奏の模様をyoutubeにあげてくれたので貼っておく。たぶん14時40分ごろの映像で大谷君がラップスティールを持って近くに移動してきている。米子君は映ってないけどそのあたりにはいたはず。ギターなんて普段全然弾かないので左手の指にマメっぽいのができた。やっている最中も終わったあともそれが「良いかどうか」なんて括弧に入れてしまっているので全然考えなかったし、考えたところでたぶん私には分からないだろうことだけは経験的に知っている。いままで散々考えたけど全然分からなかった。繰り返しに耐えるとか、良いとか悪いとか、そういうことはただ単に何らかの形式を採用するか否かの違いのような気もするけれど、だからといってこの時の演奏にそれが表れているわけでもない。