「フィールドレコーディング」でいうフィールドを
人間と対比させて非人間的な無秩序な無作為な無意図な
自然という風に考えるのはたぶん楽しくない。
そして「自分ではないもの」として考えるのももうあまり楽しくない。
正しい解釈は、とか、的確な解釈は、とか、妥当な解釈は、とか
そういうことはどうでもよくて楽しいか掘りがいがあるかに尽きる。
なぜ「フィールドレコーディング」でいうフィールドを
人間と対比させて非人間的な無秩序な無作為な無意図な
自然という風に考えることが可能なのだろうか。
なぜ「フィールドレコーディング」でいうフィールドを
「自分ではないもの」として考えることが可能なのだろうか。