三宮の阪神の駅の改札のあたりの券売機のあたりの構内図の設置してある柱のあたりの托鉢をしている坊さんの横の坊さんに絡んでいるらしきおっさんの言葉に答える坊さんの言葉の「上から言われたからといって云々」の中に多少の苛立ちの兆候を感じ取った私の立ち止まった位置の斜め後ろの柱の券売機側の坊さんの横のおっさんの次の言葉の「法然の迫害は云々」に対する坊さんの返答の「過去には過ちもあるでしょうが昔のままではなくどんどん変わっていきます云々」の多少の歯切れの悪さの中の坊さんの苛立ちを感じたがそろそろ気付かれると思い構内図を見るフリをしてはなしを聞くのをやめてさんちかホールへ行きさんちか古書大即売会を見てみるもあまり気になるものはなくはるか昔の地図があったのでちょっと欲しいかもと思って値段を見ると5千円とかしていてメルロ=ポンティの「眼と精神」を見かけたが裏表紙というのか裏カバーというのかそういう部分にブックオフではないがブックオフ的な書店のものであろう値段シールがふたつ重ねて貼ったままになっていて下のは二千円上のは百円でそれを売りに出しているであろう古書店の名前が入った値札には二千円となっていて現在の定価は四千八百円で安くも高くもない値段だがなによりなんか興醒めだったので買わずに地下を通ってミント神戸へ行くがいつもいつも思うのはとかいいつつ今回は別に思わなかったがバーゲンとかの広告がさっぱりなんにもこれっぽっちも面白くないということでなんでもかんでもダジャレで押し通すのは単なる怠慢というか全然面白くなくてダジャレとしても面白くないものが多くて別にミントに限らずそうなのだがビジュアルがあってそれを補完するコピーがあったらもうそれでいいじゃんというかビジュアルとコピーの間の相互干渉だけで閉じてしまっていてビジュアルとコピーの相互干渉によって現実の私たちと広告が繋がってそこで何が起きるかを期待しているわけでとかそういう偉そうなことは私には言えないし言わない方が身のためなのでやめておくことにしてこれは広告に限ったことではないが何がクリエイターだ何がもの作りだ何をクリエイトしているっていうんだというのが私の立場でというのも意味が分からないが開口一番「君もなにかもの作りしているの?どんなことをやってるの?」などと訊いてくるような何かをつくることで自己と他者を分かつ境界ができると思いこんでいるような自分をクリエイターなどと称する人間は十中八九私に嫌われてしまうわけだけれどそれはただ単に私がその質問に明確なかたちで答えることが[絶対に]できないからかもしれないが私がこれまでの経験によって得た結論はクリエイターなる人々は(それで食っているか食っていないかは関係なく)自分がクリエイトしたことで何が起こったかなんてこれっぽっちも興味が無いということで単に選択可能な属性としてそれこそひとつのジョブとして「クリエイター」なるものを選んでいるだけでまあ好きなように好きなことをして経験値を上げてレベルアップして自分の好きなクリエイターに近づけるように頑張ってくださいと言うしか私にはできなくてとはいっても最適解としてのデザインをする人という意味での「デザイナー」なる人々はとても尊敬しているしそれこそクリエイティブだと思うがこのクリエイティブという言葉もある範囲を定めないと全然意味がなくなってしまうし「デザイナー」と「クリエイター」がどう違うのかも結局はあまりよく分かっていないのでそういう偉そうなことは私には言えないし言わない方が身のためなのでやめておくがミント神戸タワレコで試聴したのはヤノカミのアルバムと曽我部恵一のアルバムと名前を忘れたどっかのバンドのアルバムで曽我部恵一の前のアルバムは店内でかかっていて即買いしてしまったのだが今回はそうならなくて大丸のあたりに店があるくせになぜかミントに出店してきたビショップに行ってみるとおばちゃん2人組が店内を徘徊していて目についた商品があるたびにこれは男性物だいや女性物だと言っていてその都度店員にそれは男性用ですそれは女性用ですそれは男性用ですが女性でも大丈夫ですとか言われていてミントから地下を通って自転車を止めていた国際会館のところまで行き自転車で大丸のあたりの方のビショップへ行くと水色というのか薄緑色というのかそういう微妙な色のズボンがあってこれはミントの方にもあったのだがやたらとサイズが大きくて畳んであるズボンをひとつづつ探ってサイズを探す素振りをしているとそれはワンサイズですと言われアメリカの病院だったかそういう類いのところで着られているものらしくさらに大きいですけどアメリカサイズですからと言われて二千円だったから買ってもいいのだが買わなくていいものを買ってもしょうがないので買わずに居留地あたりのジュンヤワタナベに行っていろいろ見てみるがそんな気になるものはないしあったとしても買えないが袖が折り返すようになっているボートネックの(中略)帰りに神戸国際会館の地下二階にあるビゴの店でロールパン1個とフレンチトースト1個とクロワッサン(中略)ジュンク堂で立ち読みした木村敏分裂病と他者」に紹介されているある症例がなんだか気になってだからというわけではないがすべては(を?)症候だと考えたりするのは恋愛は転移でしかないとか考えたりするのとも似ていてつまり身も蓋もないということで「面倒だからもうこれ以上考えないでおこう」の言い訳にはなるかもしれないがさしあたってはあまり何の役にも立たないように思えてそれで簡単に実際は簡単ではないだろうがこれでもうぜんぶ大丈夫!みたいになるのは全然面白くなくてだからなんだっていうんだろうかとにもかくにも神様なんてそもそもいるわけないと本当に思ったのはうちの父方のじいちゃんが死んだ時で最初は脳梗塞で倒れて何回も入退院を繰り返しそれでも動けるうちは方言研究とか自分史なんかに取り組んでいて病院で寝たきりになってしまってからも希望を捨てずに療養に努めてそれでもどんどん弱っていってしまってなんでこんなに頑張ってきた頑張っている人間がなんでこんな目に遭うのかということが全くこれっぽっちも理解できなくてじいちゃんの葬式で近所の人達も親戚の人達もうちの親も泣いているのに私だけ泣かなかったのは神様なんていないことというかそういう世界へ対する異議申し立てというかこの世界の論理を何も考えずに鵜呑みすることは絶対にしないということの表明でもあってとはいってもじいちゃんの亡骸と対面した時のばあちゃんの様子や霊柩車が出発する時に鳴らす長いクラクションにはとても悲しいものを感じて泣くのを我慢し続けると具合が悪くなるということもこの時あらたに発見したことである。