あらすじの羅列は小説(集)に成り得るだろうか死ぬほどくだらないあらすじの羅列がそのまま目次でもあるようなものは小説(集)に成り得るだろうかと考えているがたぶん成らなさそうなのでというよりも私には小説という形式におけるあっちとこっちのあいだにかかる綱の上に乗るためのバランス感覚がないからでというのは小説という形式における「あっち」と「こっち」の区別つまり小説と非小説の区別の存在を前提にしているからでやはり「あっち」と「こっち」の区別の存在を問題にしようが「あっち」においてしかその問題は意味を為さないのだろうか形式的にも内容的にも「あっち」と「こっち」の区別の存在を問題にしたとしても結局は「あっち」に落ちるように仕向けなければいけないのだろうかといっても私は結局「あっち」に落ちるように仕向ける方法を知らないというか「あっち」と「こっち」をコントロールする方法など知らないしそれがあるのかも知らないという意味であっちとこっちのあいだにかかる綱の上に乗るためのバランス感覚がないと思ったがそういう風に考えると私にとっての小説は音楽ほどには「あっち」と「こっち」の区別は溶けていなくてそれが私の認識の程度によるものなのかそれとも文字と音の違いなのかどちらでもあるのかここでひとつ思ったのは文字で表されたものには小説とか論考とか評論とかエッセイとか感想文とか日記とかブログとか独り言とかその他いろいろ複数の呼び名が用意されていてどんなものであろうと好むと好まざるとに関わらず例外無くそのどれかに収まることができるのだがそれらの呼び名のあいだには上下関係というかヒエラルキーと呼んだ方がいいのかそういういくつかの縦の階層構造があっていっぽう音で表されたものの縦の階層構造は音楽と音(非音楽)のふたつの単純な階層だけで音楽ではないと判断された音は意識にものぼらない何かとして処理されるのだがやはり階層が単純なだけにその縦の階層構造そのものを問うことやそれをひっくりかえそうとすることなどが起こりやすいのかどうかは分からないが[「音楽」の中での「ジャンル」の区別]とそれを内包する[「音楽」と「音」の区別]とがあると今度はそれを内包する芸術の中のいち「ジャンル」としての「音楽」とその他(絵画とか写真とか映像とかパフォーマンスとか文学とか)の区別なんかが出てくるのかもしれないがそういう風に個別の区別の関係を考えるとやがてどこかで行き止まりになるのは見えていて区別すること一般の必要性というか意味というか作用とその副作用について前向きに考える方がなにかしら実りがありそうな気もするがこのへんまでくるとなにがなにやらよく分からない。