今日レーモン・ルーセル「アフリカの印象」を読み終えて第一部に当たる部分がかなり時間がかかったが第二部に当たる部分はテンポ良く読めて読みながら思ったのはやっぱりまず第一部の情景の羅列を苦労してその都度集中して読むことで第二部のそれぞれのエピソードに対する親近感がかなり変わるのではないかということで最後のあたりを読んでいたここ2、3日はばあちゃんちに行っていてばあちゃんとは母方のばあちゃんで叔父とふたりで住んでいていま80歳くらいで体は丈夫で家の中なら歩き回れるしこのあいだ部屋でこけて頭の左後ろをソファの肘掛けにぶつけて救急車で運ばれて5針縫う大怪我をしたのだが特に何かの後遺症たとえば頭の左側を打ったから体の右側に異変が起きるなどもなく昼間ひとりで寂しいということと一緒に病院の神経科に行ったところ病院でやれることは何もないと断言されるくらいぼけが進行していること以外は元気でぼけといってもよく考えてみると今まで出来ていたことであまり重要でないことを忘れていくのと新しいことを覚えられないということと部屋の隅とかに私たちには見えない人が見えていたりするだけで実はそんなに生活に支障はなくてスペースシャトルが外部燃料タンクを捨てながら飛ぶことに似ていたりしてなんというかとても自然な感じがするのだが会話の中で私がボケてわざとよく分からないことを言ってもばあちゃんはぼけでさらに別の次元の返しをしてきたりその都度思考をゼロから組み立てる柔軟性とどこになにが結びつくか全く分からないところがひとつの可能性のようにも思えてきてなんだか心強かったりもするのだが人間老いると子供に返ると言うが全くそんなことはなくて子供や大人より快/不快(もちろん生理的なものではなく)に縛られていないぶん柔軟性は老人の方が高いような気がするがかといって機嫌を損ねると拗ねるのであまり変わらないのかもしれない。