近所の宇仁菅書店にて文庫のあたりを見ながらいま来たメールを見てその返信についてしばらく考えていると奥の方からおいなんで携帯使いよるんやという声が聞こえてきて携帯で本の内容を写していると思われたかと思いメール見てるんですと答えながら思想書の棚に移動しているあいだにも外で見たらいいやろが返事をしていたんですあとで見たらいいやろ最低限の配慮をしろとなかなか止まらずあなたの店ですもんねと言うとさらに激昂して出て行ってくれなにがあなたの店かとしばらく止んだかと思うとみんなの店やから言いよるんや確かにそうですとやっと止まってしばらく棚を眺めたのち失礼しましたと言って店を出たが人間いきなり怒られるとどうしても怒り返してしまうのが面白くてかといって最初に言われた時に腕時計を持っていないので時間を見てるんですとでも言えばよかったのだがさすがに咄嗟には思いつかないしそもそもの食い違いは携帯に対する認識の違いから生じたメール見てるんですという返答でじっくり段階を経て考えればメールといえども歩きメールは急に立ち止まったりして邪魔だし狭い通路でぼんやりメールしているのは確かに邪魔だと思うがはたしてこの店主は他の書店や電車でメールする人に注意するだろうかという意味と郷に入れば郷に従いますよそういう力関係の元にいまはなしをしているんですよという意味を込めてあなたの店ですもんねと言ったのだがそれよりも不思議なのは電車の中での通話はマナー違反でメールはOKだという認識を少なくとも私は持っていてこの古本屋にもその認識を持ち込んでいるのは何故だろうかということとこの店主にとっては店の中で携帯を出すことすらマナー違反であるのは何故だろうかということであるが携帯の通話はNGメールはOKという認識はおそらくかなり一般的なもので歩きメールはどこかで問題になっていた気がするがこれはやはり電車における(暗黙の?)ルールによるところが大きいと思われてまたそれが著しく店主の認識とズレているのは1.店主はあまり電車に乗る機会がない2.店主は携帯を持っていない3.店主は携帯が嫌いである4.店主はペースメーカーを使用している(とは考えにくいし言ってもいなかったがひょっとしたら)くらいしか思いつかなくてそれよりも怒られて怒り返す原因として考えられるのは大文字の「常識」の名の下になされる議論はそれが共有されていないと成り立たずそもそも「常識」が共有されているあいだにはそういう議論なんか起きようもなくそのためになにかしら偏った力関係にならざるを得ず頭ごなしに押し付けられている感じがするからだろうがなにか異議申し立てがあるなら議論の基盤としてあまりに弱過ぎる(と私には思える)自分の「常識」なんか持ち出すより自分の経験のことばで話してみた方がどれだけ面白いか生産性があるか何故「みんな」と「わたし」が混じるのかというようなことがひっかかりだしたのは電車の携帯電源OFF車両でメールをしている女性に初老の落ち着いた女性が急にここ電源オフ車両ですよ!と少々ヒステリックに注意しているのを見てびっくりしたり梅田発の電車の中で電話している若い女性に30歳くらいの髪をツンツンに逆立てたロックっぽいといえばロックっぽいヒッピーっぽいといえばヒッピーっぽい女性が少々ヒステリックに電車の中ですよ!となかなか通話をやめない若い女性に何回も何回も次の駅まで注意していて十三で若い女性が降りる時その頭かっこいいねかっこいいやろというよく分からないやり取りをしていてびっくりしたことが発端になっていて何故人は「常識」と呼ばれているものから見て外れている人を諭すより懲らしめる方向に行くのかが不思議で私自身も電車の隣に座ってきた人のイヤホンから漏れてくる音があまりに大きいとこいつ懲らしめてやろうかと思うくらいでその気持ちをよく考えてみるとどうも社会の利益を守るという意識よりもただ単に[大文字の「常識」というコードに従って気分を害したこと]を誰かのせいにして償って欲しいという個人の欲望が義憤という虎の威を借りて顕われてきている気がするが結局なにを言いたいかなんてそもそもないしいままでもないしこれからもないがこの流れから出てくることは問題を個別の部分に還元するだけでは意味が無くてそのあいだやそれが成り立つところについても考えなければならないという当たり前のことを書いても店主が少々気難しくても宇仁菅書店が素晴らしい品揃えの古本屋であることは変わらずこれからも通い続けるだろうがさすがに次に行くのはしばらくしてほとぼりが冷めてからにするが吉田アミさんの「苦手な人でも出会ったことに意味を見出し過ぎる病気は無限の住人でもない限りコストがかかりすぎるのでやめておいたほうが無難」ということばに無限の住人ではない私はほうそうかと素直に思った。