なにかあらわすべきものが内にあって
それをそっくり忠実に表に現すのが肝心だとか
とにかく明確なコンセプトがないといけないだとか
自分のやるべきことをやらないといけないだとか
それと似たような言説はほうぼうで飛び交っていて
ずっとなにかおかしいと思っていて
高校の頃オアシスとかスピッツとかギターでいろいろ練習していて
オリジナルも作ってみようとするのだがどうしてもできなくて
まあコード進行は作れるがメロディが作れないし歌詞も書けないわけで
オアシスやスピッツなんかの曲を練習するうちにコードは自然と覚えて
それをいろいろに組替えるのはできるが
それにのせて鼻歌でメロディを作ったりなんかもできなくて
ましてや歌詞なんて具体的な意味の連なりなんか作れるわけもないのは
ただ単にそういう技術を習得できないだけで
技術を習得する能力がないということを才能がないというのであろうし
これだけは世の中に言いたいこと-メッセージ-なんてひとつも持っていなかったし
いまも持っていないしこれからも持てないだろうしこれもただ単に
これだけは世の中に言いたいこと-メッセージ-を持つ技術を習得できないだけで
技術を習得する能力がないということを才能がないというのであろうし
私の中にはあらわすべきものなんてひとつもなかったし
いまもないしこれからもないだろうし
私には自分のやるべきことなんてひとつもなかったし
いまもないしこれからもないだろうし
とにかく私には
なにかをあらわすために明確なコンセプトを立て
そのコンセプトをブレずにあらわす方法を探し出し
時には計画書を作り時にはプレゼンをし時には助成金を受け
もろもろの行程を経てやっとなにかをあらわすことができた
なんてことは到底できるわけもなくこう書いてみるとそれは
企業でなにか新しいプロジェクトを始める時の行程とまったく同じで
そうなればあらゆる面での(費用対)効果だけを問われることになるだろうし
それが作者には作品の説明責任があるということで
この作品にはどのような意味(効果)があるか問われるということで
初めから厳密に効果を限定してしまうのならそれこそ
そんなマーケティング理論のようなサプリメントのような自己啓発書のようなものに
何の意味があるのかと問うてみたいようにも思うが
触れれば分かる見れば分かる聴けば分かるなんて態度も
これはこれで相当なんかおかしいと思っていて
分かるって言っても何が分かるというのかそもそも分からないし
あなたの言いたいことが分かると言うのなら言ってもらった方が早いし
あなたの言いたいことに私が興味があるとも限らないし分かるとも限らないし
芸術はコミュニケーションではないという気持ちが強くあって
芸術なんてたいそうな呼び名を持ち出しても鬱陶しいだけだが
ただ単に何かが起きたこと、起きたことで生じるいろんな動き、
空間の動き時間の動き意味の動き象徴の動きいろんな動きを
ただ眺めていくしかできなくて眺めていると手を出したくなって
それでまた何かが起きて、起きたことで生じるいろんな動き、
空間の動き時間の動き意味の動き象徴の動きいろんな動きを
ただ眺めていくしかできなくてそれでまた次に何かが起きて
という繰り返しをみんなでやっているだけで
自分で起こしたことは自分そのものではないし
その投影ですらないということでもあって
私なんかまさしくそうで
ただ思い付いたことをやってみて
あとでいろんな人の手を借りながら詳しく何だろうと考えてみて
また思い付いたことをやってみて
あとでいろんな人の手を借りながら詳しく何だろうと考えてみて
というようなことをたまたまひとりでやっているというただそれだけで
どこかだけを切り出しても私にはさっぱり面白くなくて
それがずっと続いていることしか面白くなくて
かといって繰り返しに意味があるとか言うつもりもなくて
意味も意義も個々で勝手に[見出す]というかたちで[作る]もので
[最初(っていつ?)から在る]とか[誰かがくれる]とか
甘いことを考えない方がいいと常に自分に言い聞かせる必要があって
などと書いてみてもとどのつまりは
私は私のどうしてもひっかかること納得できないことを
いろんな方法でひたすら考えているというそれだけであって
考えたからといって納得できるわけではないのは分かっているし
それが何なのかも分からないし興味もないし
たまたまそれが何らかのかたちで世に出ることがあれば
それはもうそこで死んでしまっているものなので
私があなたに与えられるものなんてそもそもなくて
それをきっかけにどうか私と一緒に
私は私のひっかかることあなたはあなたのひっかかることを
考えてもらえればと望むばかりで
具体的なところは具体的なところと割り切って
そのややこしい渦のなかに飛び込んでいくだけである。