・エサが投げ入れられるのを待つ
鯉のように口をパクパクさせながら
作品とその背後にいるとされる作者から
意味の作用が与えられるのを待つことの
なんと不毛なことか。
・なにかをつくるということは
モノとしてのかたちを作ることでも
イミとしてのかたちを作ることでもなく
ましてやモノにイミを込めるなんてことでもなく
私たちを取り囲むようにそこらじゅうに充満し
ゆらゆらと揺れる意味の連なりを
ちょっとだけかき混ぜてみることなのではないか。
そしてその意味の連なりの乱れをみるまなざしは
作り手と受け手/労働と対価という制度を
必要としないのではないか。
・常に行為そのものは最初の思惑を超えるとするなら
作者が思い通りの行為ができたと思うとき
その行為はすでに抑圧されているのではないか。
その度に世界は少しずつ貧しくなっていくのではないか。