三宮のブックオフHALCALI「音樂ノススメ」購入。
発売された時にも露骨なことをするもんだと思ったものだが
やはり騒がれていたようでそのせいかは分からないが
途中でジャケが変わっているらしく
私が手に入れたのはたまたま旧ジャケで
野田凪だったような気がすると思っていたら野田凪だった。
ググってみると割と批判的な人が多いようで
単純に考えると批判的になるのは当たり前のように思えるが
何故それがいけない(と思う)のだろうか。
芸術とデザインではそもそもの思考形式からして違うと思うのだがどうだろうか。
基本的にデザインはかたちを与えるためのかたちのための思考法で
かたちにならないものかたちに繋がらないものについては考えない。
お題があってそれにどう答えるかという笑点みたいなものだと思う。
みんなあまりゼロから答えを考えずに
世に溢れる(模範)解答を参考に最速最短のルートで答えを出すが
自分の生き方や存在そのものに関わるようなお題なんて
デザインの範疇ではないからそもそも出てくるわけもなく
自分に馴染みのない身に覚えのないお題について
自分の言葉で自分の頭で考えられないのは
当たり前だと思うのだがどうだろうか
ビジュアルデザインに対して悲観的過ぎるだろうか。
以前とあるGMSのとある店舗のお得意様優待セールの封筒を作った時
テーマが「開封率を上げる」で
かといってなにか役に立ちそうなデータがあるわけでもなく
予算の都合でフォーマットを変えるのも無理で
結局は「絵」でどうにかしろということで
これではあまりにお題が悪いと思ったものだが
良いデザイナーは悪いお題にも答えられるのだろう。
というか良いデザイナーは悪いお題をうまく言い換えて
良いお題に変えることができるのだろう。
というか良いデザイナーはお題について考えるなんて無駄なことはしないで
クライアントが好きそうなものを読み取って
模範解答の中からお題に合いそうなものを何案か選んで
少しアレンジして持っていくのだろう。
出来上がったものについての責任は
クライアントはデザイナーにあると思っていて
デザイナーはクライアントにあると思っているから
うまい具合に責任が宙吊りになって
お互いに気持ちが楽で大変都合がいい。
いまヘッドフォンからは3週目(という表現は厳密にはたぶん違う)の
HALCALI「音樂ノススメ」の4曲目あたりが流れているが
このCDを買ったのがyoutubeで見たPVがきっかけだからか
音だけで聴くとなんだか物足りない。
「strawberry chips」はサビのところの
あのぐうたらした踊りを見ながら聴きたい。