HALCALI - strawberry chips - dir タナカノリユキ
http://www.youtube.com/watch?v=k4Den1Ez1ks
HALCALI - strawberry chips ~Tanaka Chigai Mix~ - dir 田中秀幸
http://www.youtube.com/watch?v=yR7bv68pLww
HALCALI - 桃源郷 - dir 田中秀幸
http://www.youtube.com/watch?v=0dFAOlim7Wg


フィールドレコーディングとは (googleで検索してみる)
音、音楽の記録からそれ自体音楽になったのはどのようにしてどういうことだろう。
このあたり写真/映像とそっくりだと思うが
転回してからの展開は写真/映像と比べて遅いように思えるが
あまり変わらないような気もしてきた。
もはや事実の客観的な記録などではありえないことから
(誰にも知られないものなら事実の客観的な記録であり続けるのかもしれないが
これはシュレディンガーの猫のような「観測」の問題になってくるのかもしれない。
以下あまり「観測」の問題とは関係ないような気もするが
・なにをもって事実を「事実」とするかがすでに決定不能である
・事実の「すべて」を記録することは技術的に(原理的に?)不可能である
仮に事実の「すべて」を記録できたとしてもそれは
・個体としての存在の枠内にのみ顕われるため事実の「すべて」とは言いにくい
と私は思うがどうだろうかそうでもないだろうか。
他にもありそうだがおいおい考えてみる。)
何も考えずに音楽だ(音楽であってほしい)と思いこんだり
何も考えずに音楽ではない(音楽であってほしくない)と思いこんだり
というようなことが起きるんだと思うし
フィールドレコーディングについてそれを
音楽であると思うならどうして音楽なのか
音楽でないと思うならどうして音楽でないのか
どちらでもないと思うならどうしてどちらでもないのか
どちらでもあると思うならどうしてどちらでもあるのか
を考えることが
フィールドレコーディングに限らず
これから音楽を考える踏み絵のようなものになるような気がするが
どうだろうかそうでもないだろうか。
ちなみに私は選択を強要し思考を誘発する「踏み絵」としての
フィールドレコーディングには興味があるけれど
ひとつの音楽の形式としてのフィールドレコーディングには
あまり興味がない
わけでもないがあまり興味がないとしても
好むと好まざるとにかかわらず
ひとつの音楽の形式としてのフィールドレコーディングには
なにかしらのお返しをしてしまうことになるだろう。
フィールドでレコーディングしているが
フィールドを起点にフィールドの視点で考えること
レコーディングを起点にレコーディングの視点で考えること
フィールドレコーディングを起点にフィールドレコーディングの視点で考えること
がただ楽しい。