川口貴大「sound scape with two objects」を
何日か前と今回と2回通して聴いて思ったのは
音楽として聴かれて
音楽として評価されるのは
少し違和感がありながらも、それとは裏腹に
音に対する感覚は、どうしても
楽家のそれだと言わざるを得ないと
以前ここに記したけれど
そう思う具体的なとっかかりとして思いつくのは
音を録るという意味での単なる録音の質と
入っている音の種類の
ふたつがある。
川口君は音を録る技術のもろもろとその機材には
向上心や強いこだわりを持っていて
いまはどうか分からないが以前
ひとつのエクササイズとして毎日なにかしら外に
音を録りに行っているというはなしを聞いたりしたし
機材面でもいろいろな創意工夫をしていたりする。
また入っている音で一番目立つ要素は
1曲目には鳥が立てるいろんな音とキッチンタイマーの音で
2曲目には水の音と音叉を弓で弾く音で
要素としては極めて音楽「的」だと思う。
「録音」することに付随するもろもろに対するこだわりと
録音する音を選んだセンスから
考えるとどうしても
音に対する感覚は、どうしても
楽家のそれだと言わざるを得ない
と考えざるを得ないような気がするが
これもいろいろな先入観と思い込みに支えられた思考だと思うし
外で音を録音する=
フィールドレコーディング=
(既にいま)音楽のいちジャンルである=
音楽である=
というような短絡思考を前提としてスタートとして
フィールドレコーディングを語ってしまうことと
そう程度は変わらない。
そういえば大学の頃
自作の映像作品に自作のノイジーな曲をつけている友人がいて
作品の講評会のようなもので教授が
この音は一体なんなのかなにか気に病むことでもあるのかと
この友人に訊ねていて
ここではなしを遮ってその時の学科の助手をしていた友人が
これはノイズ「ミュージック」という音楽なんです
という意味としては
教授が聞き慣れない知らないだけで
これはノイズ「ミュージック」として
こういうものとして音楽として認知されているんです
というようなことを言っていて
これもまさにさきほどの短絡思考の典型で
といっても
音楽なのか音楽ではないのかよく分からないことを
さまざまな困難にぶつかりながらも続けてきた先人がいたとしても
いつからかノイズというジャンルとして名指されて発展してしまった以上
あとからそれに触れる私たちは名指される前のものに触れることは出来なくて
まずはジャンルとしてのものからしか触れることはできないから
しょうがないとも言いたくなるがしょうがないと言って
当たり前のものにしてしまったらダメだと思う。
川口君は「フィールドレコーディング」ではなく
フィールドでレコーディングしているのであって
簡単に「フィールドレコーディング」してしまうのではなく
出発点の「外で音を録ること」から考え(直し)ているんだと思う。
そう考えるとみつ君も同じく
簡単に「作曲」してしまうのではなく
出発点の「音を時間に配置すること」から考え(直し)ているんだと思うと
とても心強い。