ちょっと前に「田中功起 アフォーダンス」という
検索ワードでここにたどり着いた人がいたようで
田中功起アフォーダンスとは、
これまた鋭いというかそうでもないというか
関係ありそうで実はないかもしれないというか
アフォーダンスという一語の元に受け取ってしまうと
貧しくなってしまうような気もしなくもないというか、
アフォーダンスといえば
佐々木敦の言う「即興とアフォーダンス」という
組合せはなかなか面白いと思って、
演奏の道具という意味での楽器(非楽器も含む)が
演奏の可能性の範囲を決めるというより
演奏によって
演奏の道具という意味での楽器(非楽器も含む)の
可能性の範囲を作っていく
というはなしになるのだろうかどうなのだろうか
私にはなんとも分からないが
「似非トロニカ」という表現は
面白くもなんともなくて
気持ちは分からなくもないが
こっちは飽きていて
あっちは飽きていない
というだけかもしれないし、
創作の動機や目的にはいくつかの種類があって
ただ単にその種類の違いだと思った方が
分かりやすいかもしれないし、
かといって
分かりにくくても全部一緒の次元で
考えたいという気持ちもあるし、
自分の好きなものを自分でも作りたい
という欲望に疑問を持たない人は
ずっと持たないだろうし、
そういう人は自分の好きなものだけで
世界が成り立っていると
思っていればいいと思うし、
思わない人は思わなくてもいいと思うし
そんなことは人それぞれだと思うと思う人とは
話していても何の面白味もないと思うし、
とはいっても偏っているのが人間だと割り切って
ひとのはなしをまったく聞かない人には
なりたくないとも思うが
仙人にでもならない限り
そういうことは難しいのかもしれないし、
そういうのをいちいち悟りだと言うのにも
かなりの違和感があるように思うし、
とにかくなにかしらひっかかるものがあった時には
無視してさっさと先に行こうとするより
それが先なのか先がなんなのかも分からないし
その都度できる限り時間をかけて
いろいろと考えてみるのが
気が済んでいいんじゃないかと思う。