この前ふと思ったのだけれど、いまの人がいまの視点で、江戸時代(でも明治でも大正でもいいが)くらいの庶民の暮らし、長屋でも農村でもいいけど、を見たら、たぶん、選び抜かれたセンスのよい暮らしをしている!と思うと思うのだけれども、おそらくそれはセンスとは関係なくて、その頃は、生活のためのモノについての選択肢が少ないということと、生活のためのモノと生活のための必要が直接に結びついていてそれ以外に求められていなかったから、なんだろう。暮らしで使われるモノの素材と色とかたちが限られていて、(いまから見れば)統一感があるように見える、とか。今はものすごくたくさんの選択肢があり、生活のためのモノと生活のための必要の「結びつき方のバリエーション」を楽しむようになって久しいので、ほうっておくと、エントロピー増大則とは関係ないと思うけど、身の回りの生活のためのモノたちはどんどん雑多になっていくし、むしろ雑多じゃない方が不自然にも思えるし、少なくとも自分の部屋はちらかり放題で、かつ、たいそう雑多。