福居伸宏さんのツイッター経由で知ったこういう記事を読む。→ http://am-our.com/love/87/4083/?p=3

なるほどなー。しかし、、オンラインコミュニケーションでの「おれイケてるアピール」は見るに堪えないぞ、という指摘もまた、同じオンライン(のコミュニケーションのプラットフォーム)においては、「それを見破ったおれイケてるアピール」になってしまいかねない(そう捉えられかねない)のがなんともむずかしい・・。もはや、黙るか、やめるかするしかない。オンラインでのコミュニケーションって、そのための仕組み・プラットフォーム自体(としての、誰か)に向けて何かを言うのが基本だから、なにをどうやっても自己アピールとか自分のポジション・スタンスの主張に(意図せずとも)なってしまうのかしらなあ。あと、イケてないやつは誰だ!みたいな空気があるからこそ、イケてるアピールをしないといけなくなるわけで、空気を作ること(空気を作る側に立つことでイケてない判定から逃れること)をやめない限り、イケてない(とされる)やつはいなくならないような。うーん、どうだろか。そうでもないか。ある価値を価値として認める集団というか範囲があるということは、その内部での価値から外れるものを「イケてない」と判断することは避けられないし、イケてるやつになりたいやつと、イケてないやつになりたくないやつとのその微妙な温度差が、イヤーな空気を意図せず作りだしてしまうのかと、書いていて思ったけど特に根拠はない。それと、これは、センスのある/なし、という話とも同じ。センスは絶対的(個人的)か相対的(社会的)かという話があるけど、センスというものを個人の価値観・価値基準として考えるか、それとも個人の価値基準を外から評価するための基準として考えるかで分かれる、というかセンスをふたつの側面に分けられる。このふたつは相互に依存・影響しあっているし。トレンドをスマートに読みこなすのがセンスよく見えることもあれば、トレンドと無関係に自分の基準だけでやっているのがセンスよく見えることもある。不思議だ・・。見せ方=演出・解釈の枠組の問題なのかな・・??