「自戒を込めて」っていうのをたまに聞くけれど、これって主に、なにかしらについてひとくさり批判なり非難なりしたあとに置かれるもので、なんというか自分にも当てはまる(当てはまりかねない)ので気をつけよう、ってことなのだけれど、そもそもちゃんとそこに「自戒」が「込められているか」の判断はどうやってするのか。結局は発言者のスタンスにその解釈は依存してしまう気がする。つまるところ、ポジション取りのうまい人あるいは、良いイメージのポジションを得ることに成功した人がこういうこと(なんちゃらかんちゃらなのはいかんよね。自戒を込めて、みたいなこと)を言うと「うん、そうそう〜。自戒ですよね!」になって、逆の場合だと「なに言い訳がましく「自戒」とか言ってるんだ。それで再つっこみがかわせると思うなよ」みたいになる。なので、「自戒を込めて」と言ったところで自戒は込められず、聴衆へのアピールがうまくないとダメなので、あるいは自分の支持者以外にはまったく効果がないので、なんというかもう使わない方がマシなんだろうなということになる。まああとは、自戒がどうとかいうのは、単に「文句を言いたいだけ」で言ってることを正当化するために使われることが多いわけで、しかしそれだけではどっちみち正当化できないので(観衆・聴衆へのアピール、自分に対するイメージの操作が必要)、そういうときは素直に「おれが気に入らない」でいいんだろうなあ。というのを思ったので、だいぶ前から自戒を込めないようにしている。いま日記を検索してみたら、引用部などをのぞいて、過去に2回「自戒を込めて」いた。2007-12-10のははんぶん皮肉で、2007-05-26のはまあいま書いてきたような心持ち(自分にも当てはまるけれども、あえて自分のことを棚に上げて書くならば、というような心持ち)で、書いている。