昨日は鹿島のツタヤで、「枝雀落語大全第二十二集 池田の猪買い/替り目」、「枝雀落語大全第二十七集 宿屋仇/始末の極意」、「志ん朝復活 ぬ 高田馬場甲府い」、「志の輔らくごのごらく6 帯久」、「The Roots/do you want more?!!!??!」を5枚1000円キャンペーンで借りた。キャンペーンというか、いつもやってるような気がする。アイポッド、新しいのを買おうかとちょっと思う。液晶が割れてテープ貼ってるアイポッドタッチ8GBを使っているけれど、16やったかな、たぶん8だけど、やっぱり8だとちょっと少なくて、新しいアルバムを入れるために、なにかを消さないといけないのが、めんどう。といっても、アイポッドに入ってる音楽をすべて聴くかというと聴かないわけで、そのときよく聴くやつだけを入れておくのであれば、8GBでも十分に足りる。でもその入れたり消したりが面倒ということだから、どうしようかな。いつやったかユーチューブでみた噺家の、呼び方は落語家なのか噺家なのかよくわからないが、ともかく落語を生業にするひとのインタビューと一席というのを見たのだが、それもけっこう昔のNHKかなんかの。そこでアナウンサーのおじさんが落語家を紹介するのだが、いまだったら○○師匠とか呼ぶのだろうが、そのアナウンサーのおじさんは○○さんと呼んでいて、これがちょっといいなと思った。また、「師匠」とはすこし違うが、「先生」という尊称になにかしら違和感がある。担任の先生、数学の先生、という意味で、○○先生と呼ぶのはかまわない。けれど、その道の先達という意味でも先生と呼ぶことが多々ある。ほいでそのような使い方のなかには、この人は偉い(とされている)から「先生」と呼ばないとまずい、みたいな使い方がある。政治家、学者、作家、陶芸家、デザイナー、芸術家、作曲家、とか「先生」と呼ばれる人たちはたくさんいる。ほいで、なにが嫌かというと、○○先生!と呼ぶ側の人間が、なにかこう先生様にひれ伏してしまって、おっしゃることすべてごもっともであります!おっしゃる通りにいたします!みたいな感じがする。し、私が見た範囲でいえば、実際にそうだ。自分で考えてない、たぶん。言われた通りにすれば、文句を言われないから、言われた通りにしよう、となっている。もしくは、この人の言うことはすべて正しいから、従っておけば大丈夫、みたいな。ぜんぶ人任せ。なんだろうな。そういう支配とか依存とか権威とかが、ちょっと気持ち悪い。権威って権威的な人がつくりだすんじゃなくて、その権威を承認しありがたがる人たちがつくるんだろうな。もちろん、先生と呼ばれるくらいになると専門的な知識なり見識なりもお持ちだけれども、なにもそこまで崇め奉らなくてもいいんじゃないか。先生様の言うことに納得いかない場合は、なんか分からんけどそうらしい・・みたいに従うんじゃなくて、ちゃんと説明を求めるべきなんじゃないか。そして、素人にも分かるように説明できない、またはしようとしないような先生様は相手にしなくてもいいんじゃなかろうか。と書いたあと、ふぁcえぼおkに、バージョン違いを書いた。えーと、さっき、はてなダイアリーに書いたことなんですが、ひとことでいうと、いわゆる職業としての先生を除く、なにか専門的な知識なり見識を持つと思われる人を、「○○先生」と呼ぶのはやめた方がいいんじゃないかということです。たとえば、政治家とか学者とか作家とか陶芸家とか建築科とかデザイナーとか芸術家とか作曲家とかいろいろ。「先生」と呼ぶことでなんだか尊敬してるように見えますが、その実「この人がなんとかしてくれる」「この人の言う通りにすれば大丈夫」みたいな依存でしかないように思えますし、そういうふうにやたらと崇め奉るから、変な「権威」みたいなもんが発生してくるんだろうなとも思います。なので、ぜんぶまとめて「さん」付けでいいじゃんと常々思います。なぜ「さん」付けじゃダメだとなっているのか考えてみたんですが、まず年齢の問題ではなさそうです。年齢が上だという理由だけでは「先生」と呼ばない。あと、知識や見識がたくさんあるからという理由だけでも呼ばない。たぶん「社会的な権威」があるかどうかで判断しているように思います。「さん」付けするには、ちょっと自分よりも「社会的権威」が上すぎる、、みたいな理由で。あるいは、その人の知識なりを分けてもらう立場の自分たちが「さん」付けで呼ぶことはできない、みたいな感じもありますね。たとえば、講演会で講演をする人はおそらくすべて例外なく「先生」と呼ばれているはず。講演会の実行委員会みたいな人たちからはもちろんのこと、聴衆からも。講演をした人が「先生」と呼ばれたいかどうかとは無関係に。もちろん、とても尊敬していて雲の上の存在だから、「さん」付けでは弱すぎる、ってこともあると思います。けれども、それはどういう意味で「雲の上の存在」なのか。別にそう呼ばれる当の本人は「さん」でもかまわないんじゃないのかなとも思うんですよね。周りが勝手に先生、先生と呼んでるだけというか。なんというか、この話の要点は単純で、権威主義的なパーソナリティあるいは行動様式を助長するから「先生」付けはやめたらどうか、ということでした。権威主義的な行動様式って、権威あるものには従順な反面、そうでないものにはやたら強くでる、みたいに、ものすごくうざいですし、そういう行動様式をとる(またはそういうふうに環境・状況に適応した?)本人たちもしんどいんじゃないかしらなとも思います。