もう日付は変わって1月2日だけれど、1月1日として投稿する。ちょっと小腹がすいた。なにか食べたい。あと、いろいろ読了している。ブクログ経由でフェイスブックには流れているけれど、ひとまず12月分から読み終わった順に羅列。瀧本哲史「武器としての決断思考」、西村佳哲「かかわり方のまなび方」、馬場正尊「都市をリノベーション」(この本、表紙にある英語タイトルは「THE CITY CONVERTION」なのよね。リノベーションでなくコンバージョン)、古今亭志ん朝「世の中ついでに生きてたい」、佐々木敦未知との遭遇―無限のセカイと有限のワタシ」、鈴木謙介「SQ “かかわり”の知能指数」、藤村靖之「月3万円ビジネス―非電化・ローカル化・分かち合いで愉しく稼ぐ方法」、保坂和志「「三十歳までなんか生きるな」と思っていた」、以上です。最後のふたつは元日に読了。なに食べようかな。もちかな。カラムーチョもあったな。うーん、あれだな。やっぱり、あれ?なんかおかしいな?話がどうも食い違ってるな?という時に、その話についての基本的な事柄を再度確認しようという発想が浮かばない関係というのは、とてもよくない。たとえば、家族なんかはそうなりやすい。相手のことを分かっている「つもり」になってるから。あいつはこうだ、こういうやつだ、こういう思考パターンだ、こういう行動パターンだ、という勝手な予測でもって考えたり行動を決めたりしがちなので、言ったの言わんの、解釈が違うの、言わなくても分かれだの、食い違いを修正する機会が訪れないままになりやすい。このような、お互いが近い関係でこれまでのことを見ているからこその思い込み・勝手な類推が食い違いに繋がる、という場合のほかに、近しい関係の相手に対して支配的なかかわり方をしてしまう人も、相手に対する自分のイメージに合わせて相手の言動や行動を解釈するため、食い違いが起こりやすいような。