寝繰りの、ネグリの「芸術とマルチチュード」の「ラウルへの手紙―身体について」をお風呂につかりながら読んだけれど、なかなかよくわからない。しかしともかく読み進めてみよう。ひとつひとつの手紙は短いので。手紙というか、手紙という体の文章の集まりらしいけども。実際の手紙も入ってるっぽいが。私とフェイスブックで「友達」関係にある方々は、実際に友達であったり知り合いであったりツイッターでもフォローしあったり、という方が多いのだけれど、そのなかでもフェイスブックを活発に利用している人って1割くらいじゃないかと思った、いまの誰もいなさを見て。「誰もいなさ」ってなんか言葉がおかしいかもしれんけども。誰もいない公園にいるみたい。ツイッターはわりあいにぎやか。ああ、そうや。今日ちらっと思ったことを思い出したので、書く。いや、前にも思ったことだけど。というのも、正規/非正規問題みたいなのについて、いわゆる「正社員」の人の話を聞いてみると、真面目に、ちゃんと、これまで頑張ってこなかったのが悪いんでしょ、ちゃんとしてこなかった人のことなんか知らん、自業自得、というようなことをほんとに言うのだけれど、なんでこう思うのかなと考えてみるに、これまで受験と就職活動というめちゃくちゃしんどい試練を乗り越えてきたのだから、その結果得た今の自分たちの立場についてとやかく言われる筋合いはない!みたいなことかなと思ってみると、まあその気持ちはわからなくもない。けど、別に「正社員」という立場が責められているわけでもないんだから、自分の立場を守ろうとする必要はないんじゃないかな、とも思う。まあ、「いままでちゃんとしてこなかったのが悪いんでしょ」みたいなのは、いわゆる「優等生」的な考えのパターンだとは思うし、やっぱり生真面目だから、「ちゃんとしてない」=「ただ乗り・フリーライダー」みたいに思うんだろな。正規/非正規問題って、今まで「正規の」ルートに乗ってちゃんとしてきたかどうか問題なんかしらな、どうなんかしらな。