このまえフェイスブックに投稿した文章の主語が「私」になってるところが一か所あって、それ以外は基本的に主語なしのようだけれど、なんか違和感をおぼえた。はてなダイアリーの方はもうずっと「私」で押しとおしてきているし、どっちかといえば、文字数の多いツイッターというか、ほんとの独り言という感じなので、それでもいいのだけれど、友達にしゃべってるような感じのフェイスブックでは「僕」なのか「ぼく」なのか「俺」なのか「おれ」なのか。しゃべるときはだいたい「おれ」のように思うけれども、しゃべる言葉には音と意味(と語感も?)しかなくて書き文字がない。当たり前だけど。だからしゃべるように書くときに主語がちょっと邪魔な感じ。とはいえ、こちらもほとんどしゃべるように書いていて、一方的にしゃべるように書いているから、あまり変わりがない。書く内容もほとんどいまのところ変わりがない。その証拠にいままさに書いているこれは何分か前にフェイスブック上で書いていたものを、ちょっと気が変わってこちらにコピペして書きすすめていて、違いがないのはちょっと困るな。フェイスブックの方ではもうすこし他人を意識したことを書いた方がいいようにも思う。意識しすぎると、パフォーマンスみたいになってよくないけど・・。趣味は読書と公言しているので、読書報告をする。思想地図β2は前から順に読み進めて、いや「東大病院放射線治療部門 中川恵一氏インタビュー」は何日か前に読んだけど、今日、八代嘉美「私たちはどのような未来を選ぶのか」を読んだ。あと、バウマンの「コミュニティ 安全と自由の戦場」は昨日、「第5章 コミュナリズムの二つの源泉」を読んだ。今日はまだ読んでない。ひとつひとつの章が、10ページくらいかな、短いのでなんか読みやすい。「設計の設計」はこのまえドミニク・チェン「プロクロノロジカル・デザインに向けて──情報の相同と継承の設計」に入ったが、ちょっと止まってる。しかし「設計の設計」すごく面白い。「アーキテクチャクラウド」と合わせてどうぞ。あとは、広井良典「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」のプロローグだけ2・3日前に読んだ。円城塔「Boy's Surface」はさすがに面白いなと思いつつ、おとといか、短編「Boy's Surface」の途中で寝落ちした。金井壽宏「働くみんなのモティベーション論」は第二章「持論がもたらすパワー」の途中で止まってる。自分がどういうときにやる気がでるか、また逆にどういうときにやる気がでないか、書き出してみよう、みたいなことを言われると、面倒になってしまって・・。それをやるモティベーションが欲しい。まあ、やらなくても読み進められるようになってるけど。