ブクログ、いま登録してるやつはとりあえず分類し終えた。もっと細かくないとあまり役に立たない気もするけれど、実際の自分の本棚に近い分類というか、並べ方をした方がいいのかどうか。まだ未登録のがあるからおいおい登録しよう。なんとなく私がブクログに期待してるのは、実際の本棚と関連づけて、探しやすくしたり、とかいうことのような気がするので、目録というか、だとするなら、実際の自分の本棚をちゃんとしてからの方がいいのかも。古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」を読んでいるけれども、なぜ読んでいるかというと「希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想」が面白かったからだけれども、ともかく今日になって気づいたのは、「絶望の国の幸福な若者たち」の装丁はどう見てもせかちゅー的な小説のようにしか見えないということで、せかちゅー的な小説がなにかと言われたらいまひとつはっきりしないので偏見だとは思うけれど、ともかく小説のようにしか見えない装丁がちょっとなんか恥ずかしくもある。あとはなんというか、私らの世代(と括るような世代論がそもそも妥当かどうかは微妙ではあるけど)によくある、実はマジなんだけど、なにマジになってんのと言われるのが恥ずかしいという思い込み(規範?)のために、ついついちょっとふざけているように見せかけて(「マジじゃないよ」というメタメッセージを発信して)しまう感じがなきにしもあらず。でもそれはほんのちょっとなので、基本的にはマジだ。大真剣だ。中身はというと、まだ第2章の最後らへんだからまだなんともいえない。「希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想」は「いまの私らはこんな感じだけれども、そもそもそれのなにが悪いの?」というような居直りっぽい感じというか、ひとりひとりが「過剰に」大きな意味での社会を背負う必要はないし、背負おうとする必要もない、ということだったかな、どうだったかな。まあ、トップダウン式の社会の運営なり改善なりなんなりがなんだかもう厳しそうですよ、ということかなとも思うが、どうなんだろう。あとまあいつも思うんだけれども、「仕事」ってプライドでするもんなんか、ということで、いやなぜそう思うかというと、そういうタイプの人をたまに見かけるからで、なによりも「"俺は"ちゃんとしていた」を優先させるというか、プライド=責任感ということならいいことだと思うが、文字通り、プライド=自尊心あるいは虚栄心みたいなことになると、びみょうにややこしい。他人に弱みを握られたらダメだ!みたいな切迫した感じはどこからくるのだろう。どこからくるかも気になるし、なぜなのかも気になる。