ポコペンとフロート終了。明日から東京。蛇谷さんが「FLOATのなにもないところが好きなんです。」というのはよく分かる。→http://jatanirie.exblog.jp/ なにもないというか、あるのはあるんだけれども、隙間だらけで屋根だけある、というか。なんらかの目的を持って居なくてもよい、というのはあると思う。目的を持って居るときもある。どっちもある。人の集まる枠として、面白い、面白かった、のはなんやろかなと思ったとき、小学校・中学校・高校があった。共通点があったりなかったりする雑多なやつらが、勉強という目的でもって、毎日とにかく集まる場所。常にいろんなやつと時間と空間を共有しているけれども、話すも話さないも、関わるも関わらないも、どちらでもよい、というのは、割と学校を出たらない。大学は、目的なり傾向なりで絞られた人間しかいないところだったので、そんなに居心地はよくなかった。あと、人の集まる枠として学校が面白いのは毎日とにかく顔を合わせるからで、時々なんかのきっかけなり特定の目的なりで顔を合わせる、っていうのは、イベントというか大事な時間になってしまう。それが悪いわけではないのだが、大事になる、ってことは期待が大きくなるってことで、期待が大きくなるとリスク回避をするようになる。気の合う仲間だけを集めようとか、趣味の合う人たちと出会いたいとか。とにかくなにかよいことが起きないと嫌だ、ってことになる。もったいないと。別にそういうのが悪いわけでもないけれど、なんかこう人との関係が変に濃くなりすぎるから、面倒くさくなる。隙間がない。逃げ道がない。期待と効用、プラス/マイナスで計りがちになる。会社なんかは、小学校・中学校・高校に近いような感じもするが、ぜんぜん違う。そもそも会社は小・中・高ほど雑多じゃないし。あと、学校は勉強、会社は仕事、が大義名分というか目的としてあって、毎日雑多なやつらがとにかく集まるわけだけれど、学校で勉強できなくても別に問題ないのに対して(そもそも子供は「評価」という仕組みだけで関係を持っているわけではないっぽい。一緒に遊ぶために集まるんじゃなくて、一緒におるから遊ぶ、みたいな感じか?)、会社で仕事ができないと居にくいだろう。できない、というのは語弊があって、個人の問題のようだけれどそうではなくて、適材適所や連携の問題が大きい。あと、人間関係。小・中・高で人間関係で悩んだ、ということは、別になかった気がする。大学でも。ややこしいやつがおったりするけど、そいつだけが悪いわけでもない。そう考えれば、会社におったときもそんなに人間関係が面倒だったこともない。