実家にあった、ということはつまりうちの父ちゃんが買った本ということだけれど、多木陽介「アキッレ・カスティリオーニ―自由の探求としてのデザイン」が面白い。これは自分でも買おう。ここからさきは一切この本とは関係がないけれども、以前ある人と、言われたことしかやらない、デザイナーなのかオペレーターなのか分からない(グラフィック)デザイナーについてのおはなしをしたのだけれど、そうはいっても、これはデザイナーだけの問題ではなくて、発注する側の問題でもあって、デザイナーと協働できるのはデザイン的視点を持った人でないとたぶんできない。そうでなければ、なんの合理性も根拠もない漠然とした個人の好き嫌いに基づいて、デザイナーに丸投げするしかなくて、丸投げされたデザイナーは丸投げされたぶんしか仕事をしない、というのは当たり前でもある。そしてそうなると、そういう丸投げに慣れた、というかそういうふうに丸投げされた仕事をこなすのがデザイナーだと思っているデザイナーばかりになってしまうことになる。ということなのだろうか。必要のない雪かき仕事をする必要はないのではないか。それとも、雪かきのフリを雪かきだとみんなで思い込むことでお金の循環を生み出しているのか。それならば、生きるために仕方ないと言えなくもない。。けれども違和感は消えない。と、あとは、そもそもデザイナーに仕事が行く時点ですでにそのプロジェクトの骨幹は決まってしまっていて、部分的な仕事しか割り当てられない、のも原因か。何月何日にどこそこでこういう催し物をやるからポスターを作ってくれ、イメージはこういう感じで、とか、何月何日にどこそこのスーパーでこれこれの商品を売るからチラシを作ってくれ、というふうに。これじゃそれぞれの類型に基づいたそれらしいかたちを作る、という単なるオペレーション作業しかやることはない。そういえば、私は3年ほど、スーパー、じゃないな、衣食住売っているところを食品だけのスーパーと区別してなんというんだったか、忘れてしまったが、全国展開しているそういうところのチラシ(だけじゃないけど)もろもろをつくる会社に勤めていて、たぶんどんな仕事もそうなのだろうけれど、仕事をするうえで重要なのは、その仕事における「文法」を理解することで、「文法」を使いこなせるようにさえなれば、仕事をこなすだけなら応用力は必要ではなくて、とはいえ、私は部分的でローカルな「文法」なるものを覚えるのが面倒くさくて、だからといって基本の「文法」さえ知らずに応用することなどできやしないのだけれど。「文法」がどうとかいうより、極度に分業化され専門化された、というとまだ聞こえはいいが、毎回ほとんどまったく同じことをいかに少しづつ変わったように見せるか、という仕事にあまり興味が持てなかったのかもしれない。。そりゃミクロな視点で見れば、それぞれに違いはあるだろうし時代ごとに流れもあるだろうけど、マクロな視点で見たら、お金の循環を生み出す以外にはそんなことになんの意味もないように見えてしまう。。うーむ、でも3年ぽっちしかやってなくて1人前ですらないしなんの蓄積も残ってないからあまりなんともいえないけれども。あと、そのときの私の周りにいるデザイナーさんたちを見てみると、デザイナーってかっこいい!デザイナーになりたい!という若い人(ヒーローは野田凪さんや佐藤可士和さんなどなど。野田さんや佐藤さんはほんとにすごいと思うが、野田さんや佐藤さんを目指すこういう若い人たちは野田さんや佐藤さんをかっこいいグラフィックをつくる人として見ていなくて、かたちをつくる前の思考こそがデザインであってかたちというかフォルムというか絵面をつくるのがデザイナーではない、はず、、と思いたい、、)か、お金をもらって自己表現したい!俺はすごいんだ!というそこそこ若い人か、仕事だからしょうがない、、もしくは、内容はどうあれなるべく楽しくやりたい、、というベテランの人か、しかいなくて、デザインで社会を良くしたい!という人は全くいなかったように思う。仮に思っていたとしても仕事のフローの構造自体がそういう志向を拒絶する。私なんかは、仕事だからしょうがない、、という部類で、上司はときどき「仕事楽しい?」と、仕事なんて楽しくもない、、という顔で訊いてくるのだけれど、入って1年くらいはなんだか慰めるような気持ちで嘘でも「楽しいですよ」と言っていたのだけれど、2年が過ぎると、「楽しいとか楽しくないとかじゃないです」と答えるようになっていて、完全に、生活のためだから仕方ない、あっちからやってくるんだから仕方ない、、というふうになっていた。誰かに頼まれたからといって、本当に社会に必要かどうか分からない仕事をしていてもしょうがないわけで、だから辞めた、わけでもなく、そう思い始めたのはあとになってから。違和感はずっとあったけれど、その違和感がどういうものかはよく分からなかった。でも、会社勤めのときの2人の上司は仕事人としてほんとに尊敬できる人で、なんというか、生きるうえでの心構えのようなものを教えてもらったような気がする。仕事はチームでするものであること。次々にバトンを渡すように仕事は進んでいくこと。そして次の人の仕事がしやすいようにバトンを渡すこと。そういう基本的なこと。