日記なんて書かなくても別になんともなくて、ネットも見なければ見ないでなんともないので、面白いもんだと思い、働いたらお金が入ったのでうっかりミズノのスターストリームというスニーカーのグレーのを17:20佐賀空港伊丹空港行きが伊丹空港に着いて、とこういう書き方をしているのは伊丹空港に着いた時間を思い出せないからで、ああ、でも三宮行きのバスが18:50で預けていたゴロゴロを受け取って出口から出たときにはたしかバスが出るまで5分くらい余裕があったので、18:30くらいには着陸していたのだと思う。スニーカーを買ったミント神戸のなかにあるお店のお姉さんは、私が試し履きしながら履きやすいですねーと言ったら、はい、えー、クッションとかが、、と意味不明な返答をしていて、お店には置いてあったけれども、意識にはのぼっていなかった商品なのだろうなと思って、飛行機のなかでは、実家にあったコピーをさらにコピーさせてもらった森正洋「デザイン面から見た製品開発」と東野芳明編「芸術のすすめ」第二章「現代芸術の状況」にはいっている秋山邦晴「ニ 音楽」を読んでいて、まだ二章の途中だけれどこの本はとても面白くて、東野芳明さんといえば、デュシャンについての本を大学のときに図書館から借りて読んだ記憶があるけれど、あるのは読んだという記憶だけで中身についてはさっぱり憶えていなくて、それとは関係ないけれども、私は「芸術と社会」という問いを「芸術とデザイン」という視点から考えようとしているようなフシがある。優れた芸術は優れたデザインでもあり、優れたデザインは優れた芸術でもあるのではないか、というか、それらを分けるものはなにか?実用性というものだけなのか。デザインはそれが使われることによっていろいろな力を発揮していくけれども、芸術を「使う」とはどういうことか。あと直嶋君とみつ君と平間君と私のコンピが出ました。同じメンバーであと三つ出ます、たぶん。→http://encadrecatalog.blogspot.com/ あさってからは音箱展が始まります。→http://kavc.or.jp/apf/soundbox/ 私は高校の頃を思い出しながら制作しました。100人以上の参加者がいらっしゃいますが、たぶんかぶってませんし(あまりにバカバカしいので)、かぶっていたらなおさら面白いです。森正洋「デザイン面から見た製品開発」(セラミックス13(1978))よりすこし引用。この文章はものすごくレアな気がする。。飛行機が大阪城あたりの上を通って、着陸態勢に入ったあたりから、前の席に座っている4歳くらいの女の子と1歳くらいの男の子とグーッ、パッ!とかして遊ぶ。なんとなくこぶしを縮めてグーッ、パッとしてみたらウケたのでよかったよかった。1歳くらいの男の子からは手に持っていたアメかなんかの包み紙がまるまったやつをもらう。この男の子はひじおきをかじっていて、4歳くらいの女の子は、グーパッ、プー、おならプーとか言っていた。

生活に必要な品物に、より機能的な働きと、人間が使うに値する豊かな美しい形を与え、しかも買い求められる価格で、暮しの中に創造的な場を作りだすのがデザインだと思うのだが、こんな基本的なことだけでは世の中は通してくれない。材料と設備と労働力を使って売れる物、利潤を生む物を作るのがデザイナーではないかと、目の前のことだけを要求してくるし、消費者が欲しがる物を作り出すのが仕事ではないのかとも言われる。昔は図案屋さんと呼ばれていて、品物のお化粧屋さんだった。口紅を塗ったり、おしろいをつけたり、もっぱら美しく―他人が見たら醜くしているかもしれないに―するのが仕事のようにもいわれていたが、デザインといわれるようになってから、お化粧屋さんではなく―表面的な加飾だけが仕事ではなく―何を作ろうかという物の出発点から仕事になった。これがデザインの最も重要な分野になってきている。  


人間生活に必要な物とは何だ。それは、模様とか、形とかいう以前に何を作ったらいいのかということである。

これは、狭義のプロダクトデザインに限らず、デザイン一般にもあてはまることだし、さらにいえば、芸術にもあてはまる。『「芸術」という「遊び」や「無駄」が世の中にあってもいいじゃない』なんていう開き直ったような言い方じゃ、「芸術」はそもそも機能しないし、そういう意識の「芸術」は社会からどんどん排除されていってしまうし、それは社会だけの問題ではなく芸術の問題でもあるし、社会と芸術の「あいだ」の問題である。「芸術」は、個人の自己主張の道具であることを越えなければならないだろうし、「遊び」なら「遊び」で、それがどう社会において機能していくのかを考える必要があるし、考えるのではなく感じるのだ、ということばが「考えない」ための言い訳にしか使われないのをみると腹立たしくもあるし、そこはことばの及ばない領域ではないし、いま「デザイン」というとなにかの「かたち(模様とか、形とか)」をつくる職能になってしまっているのが納得いかないし、哲学者に専門がないのと同じく、デザイナーにも専門などなかろうということで、問題点を見つけて創造的な問いを立てるのがデザイナーの仕事であって、「プロのアマチュア」の立てる創造的な問いは、問いを立てた時点で無数の答えが含まれている。楠田製菓さんの逸口香はものすごく美味しかったなあ。佐賀の逸品として、陶器市で食器といっしょに店頭に並べるためにたくさん仕入れたけど、なんとなーくぜんぶ売れたし。「模様とか、形とかいう以前に何を作ったらいいのかということである。」