神戸市役所の収税課に行くと、ものすごくていねいにいろいろ説明してくれて、手続きは灘区役所でお願いします、せっかくご足労いただいたのですが、、と丁重な扱いを受ける。恐縮する。JR三宮の東口のあたりを通ってサンパルに向かう途中で江崎さんとすれ違うが気付かれない。ミント神戸タワレコで電話をしながらエスカレーターへ向かう鈴木さんとすれ違うが気付かれない。相手に気付かれず私は気付く。気配がない、というのはたまに言われるけど、最初からいなかったことになるんだったらなあというのはたまに思うがそんなの無理で、そういえば木村敏分裂病と他者」12章「境界例における「直接性の病理」」にそういうことをいう患者さんのことが書いてあって、ちょっとこれはしょうじき読んでいてびびった。

<前節略>境界例患者は個別化の危機を、個別化を撤回して普遍と一体化し、それによって超越の要請それ自体を消滅させるという方途で回避しようとする。だからわれわれの二人の患者にも見られたように、自殺への願望は境界例の必発症状となる(しかし不思議なことに境界例患者は滅多に自殺に成功しない)。Bも死の願望をつねに抱いている。しかし彼女はまだ具体的な自殺行為に及んだことはない。それは、死んで必ず無に帰することが出来るという確証がないからだという。自分が死んでもいわば「故人」として彼女は相変わらず「存在」し続けるだろう。だったら死ぬ甲斐がないというのが彼女の言い分である。これは、死の中に自己実現の唯一の可能性を見出そうとする分裂病者の有り方とは著しい対照をなしている。

たとえば、私が死んでも私は私がいた事実として残り続ける。物的証拠は消せても状況証拠というか私にかかわった人たちの記憶は消せない。だから私が死んでもいわば「故人」として私は相変わらず「存在」し続けるだろう。といっても私の意識は私を憶えている人たちがいなくなるような未来までは思い及ばない。そこまで行ってしまえばどちらにしろ私はいないだろうから。もちろん私がいまここで死んだとして、そのうち私を憶えている人たちがいなくなるのが分かっているとしても、私の死後の「故人」としての「私」に私は責任をとれないというか主導権を絶対に持てない。たとえなんらかの遺言を残したとしても、墓を作るなとか葬式をするなとか私に関するすべてのものを焼いてくれとか、そういう遺言を残したとしても、不確定な要素は必ず残る。だから「だったら死ぬ甲斐がない」というのが、私とBさんの結論で、いや、ひょっとすると自分が死んだ後の自分を憶えている人たちのなかのいままで私が占めていた部分の行く末を考えるのに耐えられないからかもしれない、いや、さらに言うと私たちは、自分が死んでもいわば「故人」として相変わらず「存在」し続けるだろう、ことを担保にいまを生きているのではないか、もしいなかったことになるのであればそもそもいない、いまもいない、ということになる、ということだけを担保にいまを生きているのではないか、とか書いているとあたかも私が死にたいかのようだけれども、「だったら死ぬ甲斐がない」っていうフレーズはなんかバカっぽくてよい。だったら、ってなんだろうか。カルピスいる?うん、なにカルピス?いちごカルピス。だったらいらない。という感じか?あとミント神戸タワレコで試聴したglimpseのミックスCDがとても良くて欲しい。電気グルーヴの新しいアルバムのジャケがあまりに素晴らしい。本人たちをベースにというより、誰かちょっと似てる外国人に本人たちのパーツを合成?木村カエラさんの新しいアルバムのジャケは初回限定盤じゃなくて通常盤の方が笑顔でいい。しあさってにせまったふたりフェスティバル京都のウェブサイトの英語版の私のプロフィールがなんかいい感じのような気がする。http://www.ftarri.com/festival/kyoto/oda-e.html 英語だからか?訳しにくかっただろうなあ。。こんなプロフィールじゃこいつがいったい何者なのか分からないしどんなことが起こるのかも分からないしどんなことを起こそうとしているのかすらも分からないのは、いままだしあさってやることを考えているのだから当たり前だ、というのとは別の次元っぽい。主語がOdaとHeのふたつがあるのはなんでだろう。。分からんけど。「趣味はかんがえごとと読書と音楽鑑賞」と書こうとしてやめた。そこにはおそらく政治的というか社会的なというかとにかくそういう抑圧がある。気に入らないねぇ、とショムニ江角マキコの真似をする。ピープル、スペース、タイム、アンドソーオン。

Kanichiro Oda

Born in Saga prefecture in 1980. Oda uses all manner of materials--things that make noise and things that don't. He believes even simple, straightforward actions, understandable by everyone, lead people to feel and think about various things. In different ways, depending on his ideas of the moment, he sets to work addressing subjects like people, space, time, and so on. Oda's hobbies are thinking and reading.


小田寛一郎(おだかんいちろう)

1980年佐賀県生まれ。神戸市在住。音の出るもの、出ないもの、その他なんでも使います。誰もが理解できるようなわかりきった行為からでも、誰もがそれぞれにいろんなことを感じ考えているはずだと信じて、そのつど思いつく限りの様々なかたちで、人・空間・時間、その他いろいろへのはたらきかけをおこなっています。趣味はかんがえごとと読書です。

好きなたべものはカレーとチョコレートと牛乳。しょうゆせんべい。長浜ラーメン。カフェオレとプリン。ミルクティとキットカット。トマトのパスタ。もつ鍋と串カツ。カルーアミルク